01 「愛してる」と囁くほどに


 ねぇ、お姉ちゃん。好きとか、愛してるって毎日みたいに言ってくる男ってどう思う?

 うーん、最初はいいかもね。でも最初だけよ。

 どうして?

 だんだん有り難味がなくなってくるじゃない。たまにだからいいのよ。

 ありがたみ?

 有り難味っていうのもおかしいか・・・なんていうか、毎日言われてると慣れてきちゃって素直にその言葉を聞けなくなるじゃない?だから、私は毎日なんかじゃなくてここっていう時に言って欲しいかなって思う訳。

 なるほど、それなら分かるなぁ。やっぱり言えばいいってものじゃないよね!

 それにしても、メイリン。あんたそんな男と付き合ってるの?

 えー・・・お姉ちゃんには内緒!

 何よー!教えなさいよ!



 レストルームからきゃあきゃあと見知った少女達の騒ぐ声は止むことはなく、逆に先ほどよりも声のトーンはあがっているように思う。
 シンはレストルームのドアのすぐ外で、完全に入るタイミングを逃してしまい、大きな溜息を吐いた。
 この状況でこの中に入っていこうものなら、絶対にあの二人に捕まってしまうだろう。折角の休憩時間だ、それだけは避けたい。
 待っててもやみそうにない喧騒に、シンは飲みたかったコーヒーを諦めて踵を返した。

 「・・・で、結局休憩時間終わっちゃって射撃場で訓練してたんですけど、全く女って何であんなにうるさいんですかね?」
 「しょうがないよ、女の子はどの時代でもおしゃべりが大好きだからね」
 「それにしても限度ってものがあると思いませんか?!俺何分あの場所に立ってたと思います?!30分ですよ、30分!!ほんっとに無駄な時間過ごした!!」

 うんざりとした様子でベッドに腰掛けるシンに、キラは苦笑しながらマグカップを手渡した。
 そこにはブラックコーヒーが波々と入っており、キラの気遣いにシンは満面の笑みを浮かべた。
 カップに口を付けると苦いだけのはずのブラックコーヒーに、微かな甘味が混じっているのが分かる。この甘味にも大分慣れてきたものだとシンは思う。
 でも、いつもの砂糖の甘味と少しだけ違うような気がして。
 ちらりとキラを見ると、キラは手のひらよりも少し大きい程の瓶を片手に笑っていた。

 「この前プラントに降りた時に、美味しいって評判のメイプルシロップ見つけたんだ。どう?美味しい?」
 「・・・うん、砂糖より好きかも・・・って、キラさん!それ半分以上減ってるじゃないですか!!一人でどんだけ食ったんだよ!!」
 「あはは・・・ばれちゃった?だってこれ美味しいんだもん・・・シンも気に入ってくれたみたいだから、またプラントに寄った時に買って置かないとね。」
 「・・・じゃあ、買ったそれは俺が管理しますから。キラさんが一人で食べ過ぎないように。」
 「えぇ!そんな、ひどい!!」

 少しくらいいいじゃないか、と拗ねる様子は全く年上に見えなくて。
 シンはメイプルシロップの柔らかな甘味が混じるコーヒーに口を付けて、笑いを押し殺した。

 キラは本来コーヒーはあまり好んで飲まない。これはキラの自室に良く訪れるシンの為にとキラが用意してくれたものだ。
 けれど、少し前はシンは甘味を何もいれないブラックコーヒーを好んでいたし、キラも自分の分には好き放題に甘味を入れていた。
 苦いコーヒーを好んで飲むシンの横で、キラはたっぷりのミルクと砂糖を入れた紅茶やココアを飲む。そしてお互いに飲んでいるものを見て、顔を顰めていたのだ。
 キラの好む甘ったるい紅茶やココアはシンはどうしても好きになれないし、キラもシンの飲む苦味と酸味の強いブラックコーヒーは好きになれないと言う。
 前にキラが珍しく自分用にとコーヒーを淹れているのを見た事はあるが、常でもシンにしてみれば目を疑うような砂糖の量だというのに、そのいつもよりも多めに注がれたミルクと砂糖の量に、シンは思わずキラに成人病の兆候を感じてしまった。
 そして思わず、本気で心配してキラに糖分は少し控えたほうがいいんじゃないのかと言ってみたのだ。

 「大丈夫だよ、コーディネーターだし・・・」
 「そういう問題じゃないですよ!自己管理の問題です!」
 「自己管理かあ・・・でもなぁ・・・」

 今でも良く覚えている。
 何か考え込んでいたキラが、ふとシンに目を合わせた途端。それは綺麗にふわりと笑ったのだ。
 いっそ艶やかともいえるその笑みにシンが思わず見惚れてしまった瞬間。

 「・・・ねぇ、シン・・・僕があんなにお砂糖を入れる訳教えてあげようか?」

 まるで吐息のような言葉が終わると同時だった。答える間もなくシンの唇にキラのそれが重なった。
 しっとりと、けれど深く重なったキラの唇にシンは目を見開いた。
 反射的に逃げようと上体を後ろに引こうとしたが、キラの手が先にシンの頭をしっかりと押さえ込んで。

 「・・・ん、ふ・・・っ」

 舌を絡ませ、口内を貪られるような激しい口付けに。
 随分と長く感じた口付けからやっと解放されたと思った時には、シンの身体は力を失いくたりとキラに身体を預けてしまう状態になってしまった。
 顎に伝った唾液をキラが優しく舌先で舐め取る。それにもまたシンは熱い息を吐き出して、きつく瞼を閉じて。

 「・・・ね?わかった?」
 「・・・な、にがだよ・・・」
 
 自分がこんな状態になっているのに、キラにはまだまだ余裕が残っているのが悔しくて睨み付けた。
 けれどキラは逆に嬉しそうに、涙ににじむシンの目元へと軽く唇を落とす。

 「僕がお砂糖をたっぷり入れる訳」
 「・・・今の、なんか関係あるのかよ?」
 「一番分かりやすいと思ったんだけどなあ」

 しょうがないな、とキラは笑った。

 「だってシンの口の中、苦いでしょう?僕があまぁいの飲んでキスしたら、ちょうどよくなるじゃない?」
 「・・・ぇ?な、こんな時に冗談言うなよ!!俺はこれでも本気で心配をして・・・」
 「冗談じゃないよ。至極まともな意見だと思うけどな・・・だって僕甘党だし、苦いの苦手だし・・・」

 それにね、とキラは続ける。
 急に真面目な顔をするキラにシンは心持ち、状態を後ろに反らしてしまった。

 「シンは僕に糖分の過剰摂取だって心配するけど、シンのいつも飲んでるブラックコーヒーだって胃に良くないんだからね。少しお砂糖とかミルク入れて刺激を和らげるようにしないと。」

 それからというものの、気付けばシンのコーヒーには砂糖や、その時々でキラのお勧めの甘味が入れられるようになった。キラの飲み物も、あの時のような異常な砂糖の量を入れてる姿は見なくなったので、自主的に控えているのだろう。
 けれど、今日発覚したメイプルシロップのように、キラはこっそりと甘味を取っているのかもしれない。
 そう考えると、強制的に甘味を入れられている自分はどうなのだ、と少し悔しくなりカップに口付けながら眉を顰めた。

 なんだかいつもやり込められているような気がするのだ。
 今回の事にしたって、これまでの事にしたって、言い出したらきりがないくらいに思い出せる事柄にシンは段々苛立ちが募ってくる。
 
 「・・・シン?どうしたの?メイプルシロップのこと怒った?」

 そんなシンの様子を敏感に嗅ぎ取ったキラが、シンの横に腰を下ろして顔を覗きこんできた。
 どこか心配そうな顔をしたキラの顔を見て、シンは口付けていたマグカップをベッドサイドに置いてあるテーブルに置いた。そこにはキラのものであるティーカップも置かれていて、なんだか隣に置くのを気恥ずかしく感じた自分にはっとして首を振った。

 「・・・今日、それでルナとメイリンが話してたの、立ち聞きしちゃったんですけど・・・」
 「うん?」

 一息吐いてシンはキラと向き合う。

 「毎日のように好きだとか、愛してるとか言う男ってのは有り難味がないらしいですよ」

 一瞬、キラの目が点になったように見えて、シンは心の中で拳を高々と上げた。こんな狐につままれたような顔をしたキラを見たのは、初めてかもしれない。
 そのキラの表情にシンは調子に乗った。それはもう、調子に乗っていたのだ。

 「素直にその言葉を受け入れられなくなるんだって言ってました・・・キラさん、俺に毎日毎日飽きもせずに言いますよね、気を付けたほうがいいですよ」

 ここまで言った時、キラの瞳に鋭い光が走ったのをシンは見ていなかった。
 シンは、自分で自分の矛盾に全く気付いていないのだ。気を付けたほうがいい、というのは忠告であって警告ではない。シンは自らキラに、自分が毎日毎日飽きもせず言われる言葉を素直に受け入れているのだと、言ったようなもので。

 本当にシンは、心理戦には滅法不向きだ。

 そうキラは苦笑しながらシンに首を傾げて見せた。

 「そうかな?」
 「そうです」
 
 キラの腹の内にも気付かずに、シンは迷わずキラの問いかけに頷く。
 キラはそんなシンが途端に愛しく思い、シンの背中にそっと撫でるように掌を這わせた。
 触れるか触れないか、ほんの少しの刺激でびくりと背を伸ばしたシンに、ゆっくりと顔を近づける。

 「・・・シン」

 急に近づいてきたキラの顔に、シンは目を見開いて頬を赤く染めた。
 そして、耳に軽く音を立ててキラが口付け、そのまま直接シンの頭の中に言葉を流し込むようにそっと囁く。

 「好きだよ・・・愛してる」
 「・・・っ!!」

 シンの顔が、みるみる内に赤く染まっていく。シン自身も顔に熱が溜まっていくのが分かり、キラから離れたいと思っても、固まってしまった身体は動かない。
 悪態でも吐いてやろうかとも思ったが、開いた口からはまともに言葉を出すことが出来なかった。
 
 少し身体を離したキラが赤く染まったシンの頬に口付け、目を合わせて微笑む。

 「・・・毎日言うのは、それだけシンが好きって事なんだよ?有り難味なんて無くてもいいって思うけど、僕の気持ちは信じて欲しいな・・・」

 シンの頬を包み込むように触れ、キラの親指が目許をなぞる。

 キラがこういう顔をしている時、何を考えているのかシンはよく知っていた。次にくる言葉もなんとなく想像できてしまい、頬に触れるキラの掌の温度を妙に意識してしまう。

 「抱きたいな・・・しても、いい・・・?」

 シンも、キラとそういう事をするのは決して嫌ではない。
 ただこのままキラに流されて抱かれてしまっては、結局またやり込められてしまうようで悔しい思いもあって。

 けれど、シンの返事を待つ熱っぽい視線に、シンは諦めたように目を瞑り、頷く事しか出来なかった。

 ルナとメイリンに言ってやりたい。
 こんな甘ったるい顔と声で、毎日のように好きだ、愛してると言われた事があるのか。
 きっと無いから、慣れてしまうだの有り難味が無いだのそんな事を言えるのだ。

 「愛してるよ、シン」

 甘ったるい言葉と一緒に降ってくる甘ったるいキスにも、きっと慣れる事なんてできないだろう。


 



(お題はhoney love song様からお借りしました。)