願い 


 どんな年にも終わりはやって来て。
 そして、新しい一年が始まる。





 シンはどこか浮ついた空気を醸し出しているミネルバ艦内を、一人歩いていく。
 皆の表情は明るく、久々に会うことの出来る家族や恋人との再会を心待ちにしているようだった。
 
 その表情を見ないように、シンは顔を伏せる。

 この時期はシンにとって一番辛い時期でもあった。
 多くの人々は休暇を貰い、艦を後にする。
 いつも一緒にいる友人達も故郷へと思いを馳せているようで。

 人々の明るい表情が嫌いなわけではない。
 けれど、とても切なく思う。
 
 帰る場所は二年前のあの日、酷く残酷な形で失った。
 可愛い妹も、シンの事を心から愛してくれた両親も。
 今はもういない。

 たった一人になるこの季節は本当に辛くて、哀しくて寂しくて。
 自然と溢れ出る涙を止める術すら無かった。


 どうして俺だけ置いていったの。
 どうして連れて行ってくれなかったの。
 どうして、一人にするの。

 
 心の底から湧き出るようなその感情に、シンは涙が枯れるほどに泣いた。
 たった一人。
 暗い部屋の中でたった一人で。


 こうして歩いていると、見えなくても、自然と聞こえてくるものもある。

 家族と会ったら、何をしてあげるとか。
 話したいことがたくさんあるとか。

 恋人と過ごす約束をしているとか。

 その言葉を聞いてシンは俯きながら眉を寄せた。
 歩く足の速度を早め、自室への道のりを急ぐ。

 辿り着いた部屋にはレイの姿は無かった。
 きっと、既に艦から出て行ったのだろう。
 暗い部屋に電気をつける事すら煩わしく思え、シンは自らのベッドに腰掛けると、持ち歩いているピンクの携帯電話を開いた。

 操作しなれた携帯の画面では、今よりも少し幼い自分と変わらない妹が並んで笑っていて。

 自然と目尻に雫が浮かんだ。

 変わらない妹と、確実に変わっていく自分自身。
 その事が少しずつ、少しずつ家族と自分を離して行く様で。
 ああ、本当に一人なんだ、と。
 そう実感しながら、今にも流れ落ちそうな涙を乱暴に軍服の袖で拭った。
 


 『もう、一人になんてしないから。』



 その時に、独りでに頭の中から聞こえてきたその言葉。
 綺麗な紫の双眸を柔らかく細め、彼はシンに言った。

 『僕が傍に居るから・・・。』

 シンに向かって優しくそう囁いた彼・・・シンの恋人である、キラ。

 『君に、誓うよ。』

 言いながら何度も小さなキスをシンに送ったキラ。

 キラとは約束など交わしていない。
 今も、何処にいるのかシンには分からない。
 最近は訓練時以外姿を見ることもあまり無くて。
 
 久しく触れていないキラの唇の感触を思い出し、シンは自らの唇を噛み締めた。
 開いていた携帯を閉じて膝の上の小さなそれを両手で包み込む。
 
 拭った筈の涙が、再び目の淵に溜まって。


 「・・・・・・一人にしないって・・・言った、のに・・・・・・」


 言葉に出しながら流れ落ちた涙は、膝の上の携帯電話へと、静かに落ちていった。

 普段どれだけ強がっていても。
 キラに出会ってからは、ますます一人になる事が怖くなった。
 置いていかれる事が怖いと。
 残される事が怖いと。
 強くそう思うようになった。

 キラは、悔しいけれど自分よりも実力があるし、頭の回転も速い。
 その実力で危険な任務もこなしてゆく。

 けれど、いつか。
 いつか家族の様に、自分を置いていってしまうのではないのかと。
 二度と戻って来る事はないのではないかと、何処かで不安になっている自分がいる。

 しかし、シンがそう不安になっているとキラは、いつもシンに言い聞かせた。
 

 『シンを一人になんてしないから。だから、君は笑っていて?』


 微笑みを象ったキラの口から出る言葉は、不安になるその度にシンを安心させて。

 だから、強がる事だって出来たのに。



 「・・・・・・・・・・・キラ・・・・・・・・・・」



 ねえ、俺ひとりだよ。

 ひとりでいても、笑えないよ。

 お願いだから。
 ひとりになんてしないでよ。



 「・・・・っく・・・・・・き・・・・・っらあ・・・・・・・っ」



 零れる嗚咽と、流れる涙は止まることなく暗い室内に溶けてゆく。
 何度もキラの名前を繰り返し、携帯を握る手の力を強めた。

 静寂の室内にはシンの嗚咽だけが響き渡り。
 


 そして、その静寂にもう一つの音が交じって。


 
 『・・・シン?』



 「・・・っ!!」



 来訪者を告げる音がシンの耳に入ると同時に、その声が聞こえて。
 シンは流れる涙の跡をそのままに。

 ドアに駆け寄り、開閉のスイッチを今にも壊しそうな勢いで叩き付けた。



 「キラ・・・っ!!」



 隔てるドアが開けられた瞬間、シンはキラの身体にしがみ付く。


 「シン・・・?」


 勢い良く飛び付いてきた身体を、キラはしっかりと受け止め、その華奢な背中を抱き寄せて。
 肩口に額を押し付けて身体を震わせるシンの髪を優しく撫でた。

 「・・・君は、随分と泣き虫だね・・・。」
 「キラのせいだっ・・・!!」
 「うん、ごめんね。」

 キラの唇がシンの黒髪に落とされる。


 「シン、帰ろう。」

 「・・・・・・え?」


 キラの言葉にシンは目を見開いてキラの顔に視線を向けた。
 赤く染まった目尻と白い頬に残る涙の跡に、キラは苦笑を見せる。


 「一人にしないって、言ったでしょ?」


 赤い目尻に唇を寄せ、零れる涙を吸い取った。


 「・・・最近はね、休暇中にやる筈だった仕事をしていたんだ。遅くなってごめんね?」
 「な、なんで・・・」


 濡れた瞳を見開きながらシンはキラに問いかける。
 そんなシンに微笑みかけながら、驚きに薄く開いたシンの唇に自らのそれを寄せて。



 「君の帰る場所は、僕と同じ場所なんだよ。」
 

 
 だから、一緒に帰ろう。



 嘘でも、冗談でもない。
 本当にそう思っていってくれている事がシンには充分に分かって。



 「・・・・・・・・・・・・俺、帰ってもいい・・・?」

 「うん。」

 「・・・キラと、帰っても・・・いい?」

 「うん。一緒に、帰ろう?」

 

 微笑むキラにつられるように、シンも顔に笑みを浮かべて。












 帰る場所が出来た一年の終わり。
 そこで迎える一年の始まり。





 これからもその場所で・・・新しく、始めたい。
 「アスラン、仕事手伝って。」
 「・・・え?」

 突然、部屋に入ってきた第一声がこの言葉。
 アスランが入り口の方に目をやると、そこには何やら大量の書類とディスクを抱えたキラの姿があって。
 その姿に目を丸くするアスランとはうってかわって、キラはアスランの目の前の机に腕の中に抱え込んでいた大量のそれを下ろした。

 「え、じゃなくて、手伝って。」
 
 そして、最高の笑顔がアスランに向けられる。
 アスランとキラは付き合いが短いわけではない。
 キラがこのような顔をする時はどんな時なのかは、アスランは良く分かっていた。

 「これ全部31日までに終わらせたいから。」
 「・・・こ、この量をか?これ一週間は掛かるだろう、それを31日までなんて・・・。あと三日もないぞ。」

 どんな時かも分かっていても、既に癖のようになっているこの言い分は自然と出てきて。
 アスランは正論を言った筈だった。
 誰が聞いても正論に聞こえるだろう。

 でも、相手はキラ、その人で。
 

 「だから手伝ってって言ってるでしょう。」

 
 相変わらずの笑顔で告げられる言葉。
 いつもなら渋々頷く所だが、ただでさえ忙しい年末のこの時期。
 アスランもこれ以上仕事を増やしたくなかった。
 
 「・・・休暇中にやればいいだろう。」
 「シンと一緒にいるのに仕事なんてしていられないよ。」
 「シンだって、それは分かってくれるだろ。」

 アスランのその言葉に、キラは苦笑を見せる。

 「それは、そうだと思うけど・・・でも普段あまり一緒にいられないから、この休暇中くらいはずっと一緒にいたいんだ。」
 
 いつもはあまり見られない、本当に愛しい人を思っている、キラの表情。
 シンの境遇は、アスランも良く分かっている。

 「・・・いつも強がって甘えてくる事なんてないからたくさん甘やかしてあげたいって思ってる。」
 「キラ・・・」
 「なのに、仕事なんかでシンの事放っておいたりしたら・・・、僕がそんなの嫌だから。」

 シンはキラの恋人でもあるけれど、アスランにも良く懐いていて。
 アスランにとっても可愛い弟のような存在だ。
 家族も、故郷も全てを失ってザフトに入隊したシン。
 そのシンが、キラと共にいる時は、本当に歳相応の明るい表情をしていることも知っている。
 
 アスランは一度溜め息を吐いた。


 「・・・わかった。手伝うよ。」

 「本当に?」

 「ああ・・・今回だけだからな・・・。」

 「ありがとう、アスラン。」


 キラはアスランの言葉に、更に表情を綻ばせて。
 そして、アスランの机の上に置いた書類に手を伸ばした。


 「じゃあ、アスランにはこれだけお願いしていい?」
 「は?」
 「いいよね?手伝うって言ったよね?」
 「いや、でも・・・この量・・・・・・・・」

 明らかに俺のほうが多い・・・・・

 キラが手に取ったのはちょうど3日程で終わる量。
 アスランに残ったのは、それ以上の膨大な書類の山。

 「キラ、これは手伝うって次元じゃ・・・」

 量の違いにアスランが抗議しようと口を開いた時には、キラは既にドアの外にいて。

 「じゃあ、お願いね。」
 「ちょっ、キラ・・・っ!!」

 立ち上がって追いかけようとしたが、アスランの言葉を全て聞き終わる前にキラはドアを閉じた。
 見えなくなったキラの姿と、キラが残していった書類。
 それを見てアスランはその場に座り込む。

 「・・・・・・やっぱり、俺はキラに甘過ぎる・・・・・・」

 アスランは、残された時間でどう仕事を片付けるか・・・
 考えて再び大きな溜め息を吐いた。



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