1.思い出になる前に。


 「なんであんたがここにいるんだよ・・・っ!!この嘘吐き野郎!!」

 ばったりと通路で立ち会ったシンは、僕を見るなりそう叫んだ。そして返す言葉を聞く間もなく僕に背中を向けて歩いて行ってしまう。
 久しぶりに会った第一声。
 仮にも上官である僕に向かって言う事ではないとは思うけれど、それでも咎める気にはならなかった。
 ただシンの代わりに残されたルナマリアとレイが、戸惑いを隠せないで呆然としている。ルナマリアもそうだけど、レイがここまで感情を露にしているのは珍しい。
 言うだけ言ってさっさと踵を返してしまったシンの後姿を眺める。不機嫌そうに大股で歩いていく背中に、自然と口元が弛んだ。

 「ちょ、ちょっとシン・・・っ!!やだ、なんで隊長にあんな事!!すみません、ヤマト隊長・・・っ!」
 「・・・申し訳ありませんでした。後からきつく言っておきますので」

 シンの暴言に呆気に取られていた二人が、我に返ったかのように慌てて頭を下げてきた。

 「いいよ、気にしてない。君達がそこまで気に悩む事じゃないから」

 本心をそのまま告げる。ルナマリアとレイは少しほっとしたように肩を撫で下ろした。
 シンが誰かに突っかかっている姿を見るのはこれが決して初めてではない。寧ろ見慣れているものだ。
 でも、それが僕自身にも向けられる事は初めての事で。初めて向けられた射るような視線に、新鮮な気持ちを持ってしまったくらいだ。
 それと同時に、今のシンの態度にほっとしてしまっている自分自身に気付く。

 「・・・シンは相変わらずなんだね・・・少し安心した」

 不機嫌そうな背中はもう見えない。思わず零れ落ちた言葉に反応したのはルナマリアだった。

 「そうなんですよー!いい加減、女の子らしくしろって言うのも無駄だって分かりました」

 黙ってたらほんと可愛いのに、と勿体無さそうに溜息を吐いている。
 言葉は返さずに微笑だけを送り、僕は隣で難しい顔をしているアスランに視線を向けた。

 「・・・いいじゃない、あのままで・・・ねえ?アスランもそう思わない?」
 「・・・女の子らしいシンは、確かに想像はしにくいな・・・」

 眉間に皺を寄せてアスランが唸っている。きっとアスランの思うところの『女の子』にシンを当てはめているのだろう。
 彼の頭の中を想像してくすくすと笑う僕と、難しい顔のままのアスランに、レイとルナマリアは不思議そうな顔をしている。
 けれど先に気を取り直したレイがルナマリアを急かし、ルナマリアは何かを思い出したように慌てて僕等に敬礼をすると背中を向けて走って行って。レイもルナマリアと同じように敬礼をしてからその後に続いていった。
  きっとシンの後を追っていったのだろう。
 二人を見送っていると、アスランが少し言い辛そうに口を開いた。

 「・・・キラ」
 「何?」
 「お前シンに何かしたのか?アカデミーの時はあんなんじゃなかっただろう」
 「そうだね」
 「そうだねってお前な・・・」

 アスランが深く溜息を吐いた。
 伊達に幼馴染をやっている訳じゃない。これは次に来るのは小言かな、なんて事は顔を見なくても分かってしまう。

 「シンがあんな状態だと、これから苦労するのはお前なんだぞ?あのシンが唯一懐いていたのがお前だったからって事もあって、ミネルバ配属になったんだ」
 「うん、そうだったね。僕の補佐って事で君も一緒にミネルバ配属になったんだしね・・・それだけ期待されてるのが分かるとプレッシャー感じちゃうよ」
 「分かっているなら何を暢気な事を・・・!だからこそあのシンの態度は大問題なんだ!本当に分かっているのか?!」

 始めは小声だったアスランの声量が僕の態度に焦れたのか、段々大きくなってくる。
 僕達がしている現在進行形な会話はあまり大声で話すことではないというのに。
 準水式を控えて人の出入りが多いミネルバの中での事。人通りの少ない通路だとしても、誰にも聞かれなかった事が奇跡だ。
 アスランがきつく言いたい気持ちも分からないではない。
 僕にだって事態は重々把握出来てはいるのだから。
 けれど・・・
 
 「・・・まあ、シンの気持ちも分からないではないから」
 「は・・・?やっぱりお前何かあったのか?」

 溜息混じりに呟くとアスランがますます顔を顰める。

 シンは、僕に懐いていた。シンの態度の豹変にルナマリアが狼狽してしまったり、あのレイが、呆然とした表情をしてしまう位に、僕はシンに懐かれていた。
 そのシンがああまで僕に衝突するようになった理由。
 それは余りにも僕の中で明確だった。

 「僕、シンと寝たんだ」
 「・・・寝た?」
 「うん、そう」

 ああ意味が分かっていないな、それとも頭のどこかで理解したくないっていう気持ちがあるのかな。それにしてもやっぱりアスランは予想通りの反応をしてくれる。
 
 呆けているアスランに、近くに人の気配が無い事を軽く確認してから僕はにっこりと笑って見せた。

 「セックスしたんだよ、シンと」

 アスランは一瞬、時が止まったように固まった。そんな反応も予想通りだ。
 でも、次にいきなり腕を掴まれて彼に宛がわれている個室まで引っ張られた事は、少し予想外だった。
 自慢じゃないが、僕はこれでも白服を与えられている身で多忙なのだ。準水式を控えて仕事も山積み。
 白を纏っているわけでは無いが、アスランだって同じ位の仕事を請け負っている筈なのに。
 一分一秒もあまり無駄にはしたくない今だから、この話はまた後で・・・という事になると踏んでいたんだけど、僕の告白はアスランにとっては予想を超えすぎていたらしい。堪った仕事よりも位置付けを上にされてしまった。
 まあ、彼の性格をよくよく考えてみると分からなくもないので、僕は大人しく引きずられるのを選び、複雑な顔をしているアスランと彼の個室で直立不動のまま向き合った。

 「・・・無理矢理か?」
 「まさか。僕がそんな事するはずないでしょう」

 搾り出したようなアスランの声に肩を落してみせた。
 僕は彼の中でそんな暴挙に出てしまうような人に見えるのだろうか。軽くショックだ。
 けれどシンの事を知っていれば、そう考えてしまうのも仕方ないかなとも思う。僕から見てもシンは、愛とか恋とかそういった事には酷く無縁のように見えていたから。

 「・・・シンと付き合ってるのか?」
 「・・・付き合ってはないね」
 「お前・・・っ!じゃあなんで・・・!」

 信じられないとでも言うような顔をしてアスランは僕に詰め寄ってきた。
 超が付くほど真面目なアスランの事。交際もしていないのに関係を結んだなんて、彼には本当に信じられないものなのだろう。
 そして僕がシンを弄んだとでも思っているのだろうか。それこそ酷い侮辱ではないか。
 一度息を吐いて呼吸を整える。

 「付き合ってはいないけど僕はシンの事好きだよ。シンだって僕の事好きだから、僕に抱かれたんじゃない?」

 しっかりと、アスランの藍色の瞳を見て言い放ってやった。
 言葉通り、僕がシンを好きな気持ちには何処にも嘘なんて無い。
 何たってシンの僕に対する突っかかってくる態度を見て、相変わらず人には懐かないのかと安心してしまう程、僕の独占欲は相当なのだ。シンへの想いは紛れも無い本物なのだ。
 そこを疑われているのならば、幾らアスランといえども腹が立ってしまうのは当然だ。
 男の子みたいに意地っ張りで。でも僕だけには懐いてくれたシンを心底可愛いと思ったから抱いたし、シンだって無理矢理どうこうされるタイプじゃない。
 もし無理矢理だったら、僕は今頃シンの手によって海の底だろう。何たって相手はあのシンなのだ、そう考えても不思議じゃない。

 それでもアスランは腑に落ちない顔をしたままだ。
 僕の言葉を信じていない訳ではないと思う。
 でも、さっきの僕に対するシンの態度と、僕とシンをまるで兄妹みたいだ、と微笑ましく見ていたアスランだからこそ。
 彼の知らない所でそんな関係になっていた僕達に、なんとも複雑な思いを抱いているのだろう。きっと彼の胸中はいろんな思いが渦を巻いている。
 このままアスランが納得するまで話し込んでいたら陽が暮れてしまう。
 僕はとりあえず話しを区切る事にした。

 「はい、今はこの話お仕舞い!仕事溜まってるんだからね!遅れたら手伝ってよね!」
 「キラ・・・!だが・・・っ」
 
 さっさと部屋を出ようとすると、アスランが慌てて引き止めてくる。

 「・・・今は、って言ったでしょ。後で話すよ。僕もこのままにはしたくないから」

 戸惑った様子のアスランに、一度振り返って笑い掛ける。

 そう、僕はこのままにして置けなくて、ここに来たのだ。
 嘘吐きだと言われるのも覚悟して、それでもここに来たかったのだから・・・

 ・・・なんて、啖呵を切ったものの、シンは一向に捕まらなかった。

 ある程度仕事を片付けてからシンの部屋に行ってみた。同室のルナマリアは、インパルスのところじゃないかと言うから格納庫にも行ってみた。そこにもいなかったからシンと親しい整備士がいたからまた聞いてみた。前髪の一部だけオレンジ色をした、変わった髪型をした彼は、シンが喉が渇いたと出て行ったと言うから、休憩室に行った。やっぱりそこにもいなくて、もう一度部屋を訪れてみてもルナマリアはいないと言う。

 思わず大きな溜息が零れてしまう。
 この状態でアスランに後で話すなんて。あれ以上話す事なんて無いではないか。

 シンとの事は今までアスランにずっと隠していた。
 わざわざ自分から言う事でも無いし、言っても混乱させるだけだ。言わない方が賢明だろうと思っていたからだ。
 でも、同じ艦に乗艦する事になり、シン達の隊長になってしまった今では隠しては置けない。どうしてもアスランにフォローを頼まなければいけなくなる。
 そしてアスランは理由を殊更大事にする。
 だからフォローを頼むならば、こうなったシンとの馴れ初めは話して置くべきだろうと思っていた。理由を知っているのと知らないのとでは、フォローの仕様が違ってくる。
 ミネルバへの乗艦の話が来て、二つ返事で了承してからずっと考えていた。シンがああいう態度に出るのは分かりきっていたからだ。
 本当ならばシンときちんと話が出来る環境を作って、お互いの気持ちを分かり合って。
 そしてシンと恋仲になってからアスランは報告しようと思っていた。
 今の状態では無理矢理では無かったにしろ、僕とシンは少しだけ変わった関係なのは事実。シンも僕の事を想ってくれていると思うけど、色々な事を覚悟の上で僕と関係を持ったのだという事は分かっている。
 シンはこんな風に、同じ隊に属する事になる状況は想像すらしていなかったと思う。
 僕もあの時は、こんなに近くにいられる事になるなんて考えてもいなかった。
 シンの事だけを考えるのならば、僕はこの話を断るべきなのだ。
 けれどそれが分かっていてもこの場に来る事を選んだ。
 色んな順序を飛ばしてでも、ただシンに会いたかったから。

 それにしても、どうするべきか。

 とりあえずシンと話がしたいと思っても、シンは神隠しにでもあったように一向に見つからない。
 当てを失って艦内をうろついていると、突然後方から扉が開く音がした。驚いて振り向くと、僕と同じように驚いているシンの姿。こんな偶然があるものだろうか。
 不意に捜し求めていた姿を見つける事が出来て、自然と顔が綻んだ。

 「・・・シン!探してたんだよ、よかった・・・!」
 「き・・・たいちょう・・・何の用でありますか」

 前は二人きりの時には、キラと呼んでくれていた。でも、やっぱり今は隊長だ。
 想像はしていても、それがいざ目の前の事になると寂しくなってしまう。

 「今まで何してたの?」
 「・・・射撃練習」
 「ああ、その部屋は・・・そうだったね」

 シンが出てきた部屋は射撃の訓練室だった。僕はシンの事しか目に入っていなくて、そんな些細な事も見落としてしまっているのだ。思わず苦笑してしまう。
 シンは俯いたまま、顔を上げようともしないでいる。
 いつも見上げて来てくれた真っ赤な瞳。今は僕に目を向けないように、ただ下を向いている。

 「・・・ね、少し話しよう?」
 「俺には話す事なんてありませんから」

 こんなに即答で断られるのも初めてだ。

 「僕にはあるよ、話がしたいよ」
 「だから、俺にはありません」
 「・・・シン、少しだけでいいから・・・」

 本当に少しだけで良かった。少しだけでも、僕の話を聞いて欲しかった。
 もどかしくなって、思わず赤服に包まれた細い腕に触れて。
 けれど次の瞬間、シンは僕の手を思い切り払いのけ、目を吊り上げ僕を睨み付けた。

 「・・・なんなんだよ、あんたはっ!!何でここにいるんだよっ!!よりにもよって何で隊長なんかに・・・っ!!」

 僕の身に付けている白服にシンが一度視線を下ろして。忌々しげにきつく目を細めると、また俯いてしまう。

 「分かってれば、分かってればあんな事なんて・・・っ」

 震えた、搾り出すような声だった。
 噛み締められた唇が血で滲んでいる。

 「シン・・・」
 「触るなっ!!」

 泣いているのかと思い、また手を伸ばすしても強く跳ね返されてしまう。二度も手を振り払われて、僕は思わず呆然としてしまって。
 シンは一歩足を引くと、顔を上げずに震えた唇を開いた。

 「あんたになんか、会わなければよかった」

 そしてすぐに向きを変えて、シンは逃げるように走り去って行った。
 僕は追いかける事も出来ずに、振り払われて赤くなった手をもう一つの手で押さえた。少しだけ熱を持ったそこに、相当強くシンに拒絶された事を思い知る。

 「・・・一応、覚悟はしてたんだけどな」

 シンが、急に目の前に現れた僕を、簡単に受け入れる事が出来ないのは分かっていた筈なのに。シンが、二度と僕に近付かない事を覚悟していたのを知っていて、僕はシンを抱いたのだというのに。
 だから、こうして暗黙の約束を破った僕は、シンに罵られ、拒絶されて当然だという事も僕は覚悟をしていたのに。
 
 それでも僕は、シンに僕と出会った事だけは、後悔されたく無かった。

 ・・・シンと出会ったのは、シンがアカデミーに在学していた頃。僕が非常講師としてアカデミーを訪れた、1年程前の事だった。
 今でもその時の事を、僕ははっきりと思い出す事が出来る。


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