ともだち レグヌムに帰ってきてから、一ヶ月が過ぎた。 旅をしていた間にやはりというか当然というか、学校の授業は進んでいて、遅れを取り戻そうと必死に勉強した。 あの旅していた時間を懐かしく思わないと言えば、間違いなく嘘になる。けれど、毎日の時間が流れていくのがとても早く感じて、気付けば一ヶ月はあっという間に過ぎていった。 この一ヶ月間この街で過ごした時間。 旅に出る前と何一つ変わることのないものの筈なのに、どれもとてもあたたかかった。 両親の言葉一つ一つ。エディやニーノ、学校の友達もみんな。 皆変わらないのに、何だか毎日が楽しい。前はこんなこと思わなかったのに。 そうスパーダに零すと、スパーダは少し呆れたように溜め息を吐いていた。 「変わったのはお前だろ。」 スパーダに言われて、初めて実感できた。 ああ、僕は変われたんだ。 僕の中のアスラの力はなくなってしまったけど、それでも何もかもを悲観していた僕は、いなくなったんだと。 「スパーダ・・・?」 母さんに夕食の買い物を頼まれてレグヌムの町並みを歩いていた時、見慣れた背中を見つけた。 割と頻繁に会っているけれど、彼はいつも貴族街の方にいて僕から彼の姿を見つけることはとても珍しい。 というか、初めてのことじゃないかと思う。 いつも彼からかけられる声を僕からかけられる事がなんだか嬉しく思って、その背中に走り寄って声を掛けようとした。 けれど、声を掻ける前に喉が張り付いたように言葉が途切れる。 建物の影になっていてスパーダの姿しか見えなかったけど、そこにはスパーダの他にも人がいた。走り寄ろうとした僕の目に飛び込んできたのは、スパーダと、他に数人の姿。 冗談を言い合ったりしているのだろうか、時には声を上げて笑っている声が聞こえる。 スパーダ意外には4人ほど。どの人も前の僕なら立ち止まって、こうしてじっと見ていることもなかったと思う人達だった。 実際、旅をする前よりは色々な人と話も出来るようになったと思うし、アンジュに注意された俯いて話す癖もほとんどなくなったと自分でも思っている。 思ってはいるけれど、スパーダに言われた通り、多分、多少なりとも変われたと思ってはいるけれども。 苦手なものをいきなり好ましいと思えるほどじゃない。 実際、街でそういった人達と擦れ違えばちょっと怖いな、と思ったりすることもある。 今だって本当は、こんな風に立ち止まっていないで、引き返すか違う道を行った方がいいと思っている。 でも、どうして。 体が全く動こうとしない。 馬鹿みたいにその場に立ち尽くしている僕に、スパーダと話をしていた一人が僕に気付いたようで、こっちを指差してスパーダに何かを言っているのがわかる。 スパーダが振り返る。 スパーダが、僕を見る。 それが解った瞬間に、さっきまで固まっていたかのように動かなかった体が動き出す。 さっきまで僕に背を向けてたスパーダに、今度は僕が背を向けた。 どうしてそうしたか自分でも分からない。ただ、今はスパーダの顔を見ることができないと思った。 「ルカ!!!」 スパーダの声が聞こえる。 いつもだったら嬉しい筈のその声に、僕は振り返る事もできずにただ走り続けた。 久しぶりに全力で走って乱れた息を整えようと足を止める。 なんだか無我夢中で走ってきてしまって、とんでもない所に来ていないかと急に不安を感じたけれど、逆に目的地の道具屋がある港付近まで来ていたことにほっとした。 夕焼けの空と混じって綺麗なオレンジ色になった海が、とても綺麗で。 僕と同じように夕食の買物を頼まれた子供だろうか、明るい笑い声と笑顔や小さな子供の手を引く母親の姿、港に停めてある船の船員の姿。 その皆が動いているのを見て、立ち止まった僕だけ置いていかれているような、そんな気分になる。 今まで、あまり考えた事が無かった。 僕の故郷であるこの町に、僕の友達がいるようにスパーダの故郷でもあるこの町に、スパーダの友達がいる。 どうして考えた事がなかったんだろう。 スパーダは外見は怖いかもしれないけれど、旅をしてきた中で彼の内面をあんなにも知ったのに。言葉がちょっと悪いのは見た目通りだけど、それでも面倒見が良くて、その上正義感も強くて。そして、何よりも優しい。 僕よりも彼に友達がいるほうが、考えなくてもずっと自然なことだと分かるのに。 どうしてだろう。 旅が終ってからも友達だと笑って言ってくれるスパーダに。 ずっと、僕だけが彼にそう言ってもらえるのだと・・・いつの間にかそう勘違いしていた。 「・・・ルカ・・・ッ!!!」 急に名前を呼ばれたかと思うと、いきなり後から頭をばしんと強く叩かれる。 同時に両肩をぐっと掴まれ身体を反転させられると、目の前には見慣れた帽子を被った彼が俯いて肩で大きく息をしている。 「このバカルカ!!イリアの言葉を借りればおたんこルカ!!こんな場所まで走らせやがって・・・っ!!」 「すぱ・・・だ・・・?」 「ほんっとお前って奴は・・・・・・って、なんだよ、俺がわりィのかよ?!」 最初は眉を吊り上げて怒っていたスパーダが、僕の顔を見るなり元々吊り気味な目を見開いた。 「泣くほど痛かったのか?お前・・・そんな強くぶっ叩いたつもりねェんだけど・・・」 「泣く・・・?」 誰が?そう聞こうと口を開きかけると、スパーダの指がそっと目元に触れて。 さっきまで、怒っていたり驚いていたり・・・でも今は少し困ったように、慌てたように目を細めている。 本当に、スパーダはころころと表情が変わると思う。 楽しいときには本当に楽しそうに笑って、怒るときは容赦なく怒って。 僕をからかうときの意地悪そうな笑みだとか、家族の事を話してくれたときの、少し寂しそうな顔だとか。色々なスパーダの顔を不意に思い出した。 「・・・そりゃ、確かにあいつらがお前の苦手なタイプ・・・ってのもわからないこともないけどさ・・・」 さっきまでスパーダが一緒にいた人達のことだろう。黙ったままの僕にスパーダが大きく息を吐きながら言った。 「・・・スパーダのと、ともだ・・・ち?」 「あ?あぁ、そうだな。俺が前家飛び出してた時につるんでた奴等。皆さ、確かにお坊ちゃまなお前から見たら見た目は、ちょっと・・・かもしれねェけどさ。」 でも、みんないい奴だからさ。だから、そう逃げるな。 そう続けられて、僕は唇が震えているのをスパーダに気付かれないように俯いた。 本当は聞きたくなかった。聞きたくない、と耳を塞いでしまいたかった。 でも、そうしたらスパーダが嫌な思いをするだろう。誰だって自分が話をしている時に耳を塞がれれば、嫌に決まっている。 こんなこと今までなかった。 スパーダと話す事は、僕にとってとても楽しくて。それなのに耳を塞ぎたいと思ってしまうなんて。 僕は必死に震える唇を開いた。できるだけいつものように、そう自分に言い聞かせながら。 「スパーダだってお坊ちゃまなのに・・・」 「あァ?!」 少しだけ声が掠れたかもしれない。それでも、スパーダがいつものように返してくれたから、僕は顔を上げて笑った。 腕を組んで拗ねたように怒る彼を見て、小さな声で謝る。 「・・・ごめんね。」 逃げてしまって、ごめんなさい。スパーダはそう取ってくれたんだと思う。「いいって」と短く言って僕の頭を軽く叩いた。 本当は、わかっていたんだ。あの場所から逃げるように走り出したのは、そうすればスパーダが追いかけてきてくれるって思ったから。 「今度ルカのことあいつらに紹介してやるよ。俺のダチだっていえばからまれることもなくなるぜ?」 「あはは、頼り強いね。」 笑って話すスパーダに僕も笑顔で答える。 前は嬉しかったはずのその言葉が胸に突き刺さるようだ。 友達なのだ。僕は、スパーダにとって、友達でしかないのだ。 きっと、それ以上にスパーダが思ってくれることなんてない。スパーダを困らせるだけの思いでしかない。 それなのにこれ以上だなんて、こんな事を考えてしまう僕が嫌で、いやで。 こんな気持ち、気付きたくなかったのに。 こんな醜い思い、捨てられるものなら捨ててしまいたい。
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