ゆっくりどうぞ 1

『幸運』という持ち物を落として、生まれてきてしまったらしい。





 「・・・ない」

 自分の鞄の中を見渡して、アスランは小さく呟いた。
 
 「落としたか・・・?いや、盗まれたか・・・?」
 
 朝のラッシュ時の為、人の流れが激しい駅の中で一人突っ立って溜め息を吐く青年を、通りすがる誰もが振り返る。当の本人には自覚のないものの一際目立った容姿をしているアスランは、何処に居ても人の注目になってしまう。凛と背中を伸ばして立つ、濃い藍色の印象的な髪とエメラルドを彷彿させる瞳を持ったその端整な出で立ちは、嫌でも人目を引いてしまうのだ。しかし、当の本人はというと、それには全く気が付かずに自らの鞄の中を見て呆然と立ち尽くしたままで。

 「どちらにしろ困ったな・・・給料下ろしたばかりなのに・・・」

 再び溜め息を吐く。アスランが探しているものは財布。しかも、汽車に乗る前に今月分の給料から引き出してきたばかりの。それも会社帰りに食事でも行こうという、いつも何故か自らも財布を出そうとしない友人の誘いもあって、普段よりも多くの額だったというのに。

 「・・・とりあえず、聞きに言ってみるか・・・」

 思い足取りで財布の落し物が無いか聞きに行く為に人込みに混じる。
 こんなことは一度や二度ではなかった。財布だけじゃなく物を落とす事も多いし、詐欺こそには合わないが空き巣や窃盗にも見舞われたことがある。

 (本当につきがない・・・)

 こんな事のせいにしたくはないのだが、それしかいいようがないのだ。普段かけている鍵をうっかり閉め忘れたて空き巣に入られたり、卸したばかりの鞄に何故か穴が開いたり、何故か行くところ行くところ必ず窃盗犯常習者がいたり。今日だって以前、満員電車の中で痴漢に間違われてから車通勤にしたというのに、昨日の夜から愛車の調子が悪く、偶々汽車通勤を余儀なくされた時に限ってこれだ。
 幼い頃からそうだった。学校の席を決めるくじ引きでは、いつも教卓の前に当る。運が全てのボードゲームや、カードゲームなんかでは勝った試しが無い。一度、いつもテストのヤマを当てる友人にそのヤマを教えてもらったこともあったが、その時だけ見事に外れたものだ。食事の約束をしている、友人であり幼馴染であるキラにもいつも言われている。

 『アスランってほんと・・・全ての幸運という幸運を奈落の底に突き落としたような生活してるよね・・・』

 しみじみと言われたその言葉にも、アスランは思わず苦笑してしまう。そう言った幼馴染は、とてつもない幸運に恵まれているようで、今は働きもせずギャンブルで生計を立てるという、アスランにとっては偉業とまで思える生活を送っている。
 アスランは地道に勉強して有名大学を首席で卒業し、大手企業に勤め生活に不自由なことなどないのだが。それでも、

 『顔は良くて良かったね、これでそこにも恵まれてなかったら・・・本当に不憫で堪らないよ・・・』

 こんな事を言ってくれて遊び感覚のギャンブル一つで稼げている、尚且つ美貌の幼馴染が経済的に何ら困っていないのは、正直言って・・・羨ましく思うこともある。
 本当に自分は運が無いのだ。それだけなのだ。
 そうは思っても、運とはやはり生きるうえで必要だと常々思うことも確か。
 人の流れを抜けて事務員のいる窓口を見ると、そこにはいつも混むことなんてないのに数人が列を作っていた。アスランは腕の時計で時間を確かめ、また自分の不運を思いながらその後に並ぶ。五分後に発車してしまう電車に乗らなければ遅刻は確実。しかしこの列に並んだ時点で、その電車には間に合わないだろう。微かに項垂れていると、窓口から声がかかる。

 「すみません、財布を落としてしまったのですが・・・こちらに届いていませんか?」

 アスランの顔を目前にした受付の女性は、多端に顔を赤らめた。そして幾つかの落し物である財布を机の上に並べる。

 「ございますか?」
 「いえ・・・無いです・・・」

 伺う声に首を振って答える。アスランのその様子を見た事務員は一枚の紙をアスランに差し出した。それを受け取ると、紙と一緒に手渡されたペンを紙上に走らせる。届けを出す為に、落とした財布の特徴、住所、電話番号、名前等の記入欄がある専用用紙。
 期待はしていなかった。今まで何度も物を落としてきたが、届けられる事なんて一度も無かった。もう半ば諦めている。財布にはこういった状況を考えてカード類は抜いてあるから、現金しか入れていない。あの額を落とすのは少し辛いが、貯金もあるからなんとかはなる。キラは食事が出来なくなった事に怒るかもしれないが事情を話せば、また?と言って呆れて笑ってくれるだろう。

 (とりあえず会社に電話を・・・)

 ペンを動かしながら冷静にそう思った。遅刻の電話をいれ、友人に謝り、貯金を下ろして新しい財布も用意して。そんな事を考えていると、窓口に誰かが走りこんできた。

 「財布・・・!財布拾ったんですけど・・・っ!!」
 「・・・あ・・・っ」

 走りこんできたのは黒い学ランをだらしなく着込んだ一人の少年だった。そしてその手にある物を見て、アスランは目を見開いた。

 「俺の、財布・・・」
 「え?!これ、あんたのなのか・・・っ?!」

 同じように驚いた少年の瞳は、燃えるような赤だった。



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