絆 2 想いを伝える事が出来ない、と友達が赤い顔で相談してくることがたまにある。理由を聞いてみると、どれも恥ずかしいだとか振られるのが怖いだとか、そういった感じがほとんどだ。 そんなことを聞いていると、僕の胸の中にいつも黒い靄がかかっていくようで。 伝える事が出来るのに。 想いを口にすることを、許されているというのに。 そう想うと、目の前で顔を赤く染めている友人を憎らしく思う事もある。 口にするとたった一言だけの想いかもしれないけれど、それだけの言葉が僕には許されない。 たった一人の弟に恋をした僕には、伝える事すら許されない。 車内から飛び出していったシンの背中がドアの向こうに消えていった。 いつも名前を呼ぶと満面の笑みで振り向いてくれたシンが、振り向きもしなかった。 車から降りる前に見せた、シンの今にも泣きそうな表情が脳裏を過ぎる。 僕は咄嗟に自分のシートベルトを外し、シンを追いかけようとドアを開けようとして、動きを止めた。 追いかけて、それでどうすればいい? シンを追いかけて、家の中に入って泣いているかもしれないシンを抱き締めて・・・それから? 僕はシンに何を言えばいいのか。 何を言う事が出来るのか。 「何、やってるんだ・・・僕は・・・・・・」 一人呟いて、僕は低い天井に顔を向けながら目を閉じた。 シンは僕の弟だ。 親の再婚があってのことだから血は繋がっていないけれど、それでも弟には変わりない。 初めて会ったのは、今からもう9年も前のことになる。僕はまだ12歳、シンは5歳だった。 僕には兄弟同然とも言えるアスランがいたけれど、アスランはあの頃からどこぞの大人よりもしっかりしていて、いつも僕の手を引いてくれる兄のような存在で。そんなアスランは僕の目から見てもかっこよくて、憧れだった。 僕はアスランの『兄』の位置にとても惹かれていたのだ。 だけど、僕がアスランの手を引いたって、周りの大人は『キラくんは今日も元気いっぱいね』なんて、そんな言葉しか返って来ない。さしずめやんちゃな弟が兄の手を引っ張っているくらいにしか見られていなかったのだろう。 アスランはその頃の僕は本当に可愛かった、と今でも思い出したように言うけれど、僕はそれを悔しく思う事もあったし、子供ながらに本気で悩んでいたりもした。 でも、そんな時にシンが家族に・・・『弟』になった。 突然出来た『弟』に僕は歓喜して、アスランが僕にしてくれたように僕はシンに接した。両親は相変わらず仕事が忙しかったし、一番接する時間が長かったこともあって、シンはすぐに僕に懐いてくれて。始めは『兄』という言葉に舞い上がっていただけの事が、いつしかそれ以上の思いに変わっていた。 小さなこの存在が、誰よりも愛しくて。 大切だと気付いた時には、もう僕はシンに恋をしていた。 気のせいだと、何度も自分に言い聞かせた事もあった。 この想いは弟に向ける『家族愛』で、決して一人に向ける『愛』ではないと。必死にそう言い聞かせた。 でも、駄目だった。どうしても出来なかった。 一度気が付いてしまうと、もうシンを『弟』として見る事が出来なくなった自分がいる。 シンが一緒に寝よう、と枕を持って僕のベッドに潜り込んで来る度にこのまま抱いてしまいたい、と思ったことは一度ではないし、身体の弱かったシンが熱を出せば、赤く上気した顔に情事時の表情を重ねた事だって数知れず。 それでも、僕はシンの求める『優しい兄』をずっと演じ続けた。『兄』でいることが、シンの傍にいる条件だったから。 でも時間を重ねるにつれて、『兄』でいることが辛くて辛くて堪らなくなってきた。 どうして触れてはいけないの。 どうして言葉にしてはいけないの。 その想いが僕の頭の中を渦巻き、僕は歯痒さに何度も涙を零した。 そして僕は自分の想いも、シンの手も振り払って、一人での生活を選んだ。 どうやって家に帰ったかは覚えていない。 大学に入ってから暮らしているマンションの一室で、何をすることもなくただベッドに横になり、気が付けば日は傾きかけていた。帰ってきてから着替えてもいないから、着ていた私服は既に皺が出来て酷い事になっている。 何が欲しい、と聞くとシンは思いがけず、 「キラ兄がいい」 と、そう言ったのだ。 ただ一緒にいてほしい、というそれだけの意味を持った言葉。シンにとってはそれだけなのに、僕は簡単に受け止める事が出来なかった。 溜め息を吐き、再び目を閉じた時。 来訪者を告げる機械音が部屋の中に響いた。 誰とも会う気も話す気もしなかった僕はそれを無視していたけれど、ドアの開いた音が聞こえて、もう一度大きく息を吐いた。 「キラ、どうした?すごい顔だぞ?」 「アスラン・・・」 突然訪れた幼馴染は、僕の部屋に入るなり呆れたように笑う。薄く目を開いてその姿を見ると、手に紙と何枚かのディスクを持っているのが見えた。 今日大学を休んだ分の課題や、取ってくれたノートを持ってきてくれたのだとすぐに分かった。ベッドから上半身だけを起き上がらせ、僕はアスランに礼を言うとそれを受け取る。 「またシン絡みか?」 アスランの言葉に、昨夜のシンの表情が頭に浮かんだ。 泣きそうだった・・・いや、きっと泣いている。 僕は俯きながらぽつりと言葉を零す。 「・・・シンが、ここで暮らしたいって・・・」 「それは・・・」 アスランがばつの悪そうな顔をしているのが見なくても分かった。僕のシンに対する想いを知っているのは、アスランしかいない。 少しの沈黙が流れた後、アスランは静かに口を開いた。 「・・・いい加減、無理するのは止めたらどうなんだ?」 予想もしなかった言葉に、僕は目を見開いて顔を上げる。 「お前の為にも、シンの為にも・・・もう少し向き合ってみるのも必要じゃないのか?」 「・・・アスラン、自分が何言ってるか分かってる?」 「そのつもりだが?」 目を細め、アスランの翡翠のような瞳を睨み付けた。それでもアスランは怯む事も無く、僕の目を真っ直ぐに見てくる。 また、胸の中に黒い靄が広がっていく。 「君は僕に弟を犯せって言ってるんだよ?」 「また・・・直球だな。」 アスランが苦笑したのが分かった。 それでも、言葉は止まらなくて。 「僕が無理するのをやめるっていうのはそういう事なの。無理しないで、この汚い欲望のままにあの子を・・・シンを犯せっていう事なんだよ。」 ・・・それだけは、したくない・・・ 視線を再び膝に戻した。 何度も、そうしてしまえたらと思ったことがある。思うままに犯して、好きなんだ、愛してると叫んでしまえたら、と。 それでも出来ないのは・・・怖いからだ。 シンに想いを告げて、シンの求める『優しい兄』である僕の本当の想いをシンが知った時。あの赤い瞳に拒絶の色が浮かぶことが、怖かった。 「じゃあ、このまま逃げてるのか?」 「・・・っ!」 「それで諦められるのか?」 いつにない厳しい言葉に僕は膝の上で拳を握る。アスランの言葉は、どこか絹に包まれているような心地好さを持っていることがいつもで、こうして太い棘で抉るようなことを言われるのは初めてだ。 「・・・諦めるしかないじゃないか。シンは血が繋がっていなくても僕の弟で・・・それに僕とシンは男同士なんだよ?シンが受け入れてくれるわけないだろ。シンは、兄としての僕を求めてる。それ以上は求めていないんだよ・・・」 そこまで言うと、アスランの溜め息が聞こえた。 「・・・お前は・・・変なところで考えすぎる奴だな・・・」 「うるさいな・・・根本的なところだよ・・・」 「シンを諦めるのか?」 「だから・・・っ!諦める意外に何があるっていうのさっ!」 思わず荒げた声にもアスランは眉一つ動かさない。 黙って僕の顔を見て、真剣な表情のまま小さく口を開いた。 「じゃあ、俺がシンをもらってもいいんだな?」 「な・・・っ!!」 その言葉に全身の血が一気に沸きあがるような衝動を覚える。 アスランにシンを、あげる? シンがアスランのものになる? 込み上げる怒りに僕は手に触れたシーツを思い切り握り締めた。 「俺がシンと付き合って・・・あいつを抱いてもいいんだな?」 「・・・死にたい?」 自分でも驚くほどの低い声を出して、アスランを睨みつける。 本当にそんな事になったら・・・アスランといえども僕は容赦無く傷つけそうだ。 アスランはそれでも表情を変えなかった。 「まさか・・・まだ死にたくはないな。」 「じゃあ、二度とそんな馬鹿なこと言わないで。」 「馬鹿なことじゃない。現実だ。」 口を挟む間もなく、アスランは言葉を紡いでいく。 「今はまだでも、シンもいつかはお前以外の誰かを好きになって、抱いたり・・・抱かれたりするかもしれない。それを見ていられるのか?」 考えた事が無いわけじゃない。 シンの隣に僕の知らない誰かがいて、シンが幸せそうに笑っている・・・いつかくる未来。 けれど、考えただけで耐えられなかった。 シンの笑顔が他の誰かに向けられている事なんて、目を開けて見ることすら出来ないだろう。 時間が解決してくれることだと思っていた。 大人になれば、こんな子供じみた独占欲も消えて。 そして僕も笑って、幸せそうなシンの姿をこの目に映すことが出来るだろうと。 それなのに、待っても離れても・・・何も変わることは無く・・・ 「・・・今日は、もう帰るよ。」 黙りこんでしまった僕に、アスランは静かな声で告げた。 「とりあえず寝ろ・・・悩むならそれからにしろ。」 いつもの優しい声のアスラン。 僕は顔を上げないで、その背中に声をかける。 「アスラン・・・」 「・・・?」 ドアノブに手をかけたままで振り向いたアスランに、僕は小さく頭を下げた。 「ごめん・・・ありがと・・・」 僕の言葉に幼馴染はいつものように笑いかけてくれて。 その笑顔に僕は少し安堵した。 「でも、シンは絶対にあげないからね・・・」 「・・・俺だってまだ死にたいとは思わないよ。」 僕もいつものように笑い返すと、アスランは呆れたような笑顔を見せてから、部屋を出て行った。 ドアが閉まり、僕はまたベッドの上に横になる。 足元に置いてあった紙やディスクを蹴飛ばしてしまったけれど、そんな事は別にどうでもいい。 柔らかい枕に頭を埋めて目を閉じた。 愛しいたった一人の生まれた日に、何を捧げようかと想いを巡らせて。 「おはよう、シン」 早朝にいるはずのない僕がいてシンは赤い瞳を丸くして驚いていた。ぱくぱくと口を動かすシンに微笑みかけて、僕は義母さんと父さんにこっそりと目線を送る。 アスランが来て数日経たない内に、僕はこっそりと実家に電話をしていた。 それはシンの誕生日。平日だけれど、その一日だけ朝からシンを祝ってあげたい、と両親に頼み込む為だった。 学校を休ませる事になるから反対されるかなとは思っていたけど、そこは譲る気は無かったし、何があっても一日シンと一緒にいるつもりだったから。 しかし、そんな考えは無駄だったかのように、両親は二つ返事で許可をくれた。 そしてこの日の朝。シンが起きてくる前に実家に戻り、義母さんの淹れてくれた紅茶を何年ぶりかに飲んだ。 シンの反応は思っていた通り。固まってしまったかのように動こうとしないシンの傍に歩み寄って、寝癖のついたままの髪にそっと指を絡めた。 「き、きらにい・・・、なんで・・・?」 赤い瞳にたくさんの疑問を浮かべて僕の顔を見上げるシンの身体を、優しく抱き締める。 「き・・・きら兄っ?!」 驚いているシンの柔らかい髪に頬を寄せた。 「誕生日おめでとう、シン。生まれてきてくれてありがとう。」 「ぇ・・・?」 シンの目線にあわせて、少し膝を曲げる。同じ高さで見たシンの表情はまだ頭がついて来れていないようで、何度も瞬きしていた。 そんな幼い姿を見て、義母さんと父さんも自然と笑顔になりシンにおめでとう、と言葉をかけて。 「約束したでしょ?」 ようやく緩んだシンの頬を、僕は掌で包み込んだ。 「誕生日の日は一緒にいるって。」 「ほ、ほんと?」 「本当だよ。だからこんな朝早くから迎えにきたんだから。」 そう言うと、シンは顔いっぱいに笑顔を浮かべ、本当に嬉しそうに笑って。 「着替えてくるっ!」 と、元気よく階段を駆けのぼって行った。 その後姿を見て、つい先日親友に言われた言葉を思い出す。 『向き合ってみるのも必要じゃないか?』 確かに背中ばかり見ていては、わからないことだらけだ。 そして、ずっとそうしてきたのは僕自身。 でも、しっかりと向き合って正面に立って、背中を向けられれば追いかけて振り向かせて。 そうして、いつでもあの瞳を見ていたいから。 自分に嘘を吐くのはもう、嫌だから。
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