小指と小指を 「・・・38.7度・・・高熱だね・・・」 体温計を見たキラはわざとらしく大きな溜め息を吐いた。 手に持った体温計からちらりと目を逸らせば、シンがベッドの上で所在無さ気に目線を泳がせる。 額に乗せられた冷たいはずのタオルも、すぐに熱を吸って生温くなってしまう。 キラはそれをそっと手に取ると、用意していた氷水の入った洗面器で再び冷たい水を染み込ませきつく絞った。 「・・・怒ってる・・・?」 額にひやりと感じる冷たさにシンは静かに息を吐きながら、恐る恐る口を開いた。 「怒ってる。」 「う・・・」 予想してはいた。 その予想のままの返事。 キラは無表情のまま表情を変えず、シンの身体に毛布を被せた。 「怒らないわけがないでしょ。こんな高熱出して・・・」 シンは何も言えずに乾いた唇を引き結ぶ。 「しかもその理由が『雨の中傘も差さないで走り回った』なんて。僕が笑って聞けると思う?」 「・・・思わない・・・」 「あのね、シン・・・」 今にも涙を零しそうなほどに濡れた瞳を見て、キラは溜め息混じりにシンの名前を呼んだ。 ゆっくりと自分を映す紅い瞳。 いつもならこんな目を見たら可愛くて可愛くてどうしようもなくて。 きつくきつく抱き締めて、もう怒ってないよ、泣かないで、と。 そうやって甘やかしたくなるけれど、今日ばかりはそうもいかない。 そうできそうもないのも事実。 「僕がなんで怒ってるかわかる?」 「雨の中傘も差さないで走ったから・・・」 「うん、そうだけどね。少し違う。」 シンの眉が微かに寄せられた。 普段は色が無いのではないかというほどに白い肌は、今は熱のせいで淡い赤に染まっている。 それを痛々しくも思いながら、キラはゆっくりと口を開いた。 「君が、自分を大事にしないから。だから怒ってるんだよ。」 普段は見せない、厳しい表情でシンに言い聞かせる。 いつもは優しく微笑みかけてくれるキラのその表情に、シンは泣きそうなほど顔を歪ませた。 自分がしたことが、これほどキラを怒らせると思わなかったのだ。 「・・・ごめん・・・」 掠れた小さな謝罪の声に、キラは今更ながら胸が痛むのを感じた。 本当は笑っていてほしいのに。 泣かせたいなんて、一度たりとも思ったことはないのに。 けれど、本当に目の前が真っ暗になったのだ。 シンが・・・家族という名の絆で結ばれた弟、そして誰よりも愛しい恋人でもあるシンが、目の前で倒れた時、キラの目にはシンの姿しか映らなかった。 雨に全身を打たれ、力なく倒れこむあの時の光景は、印象深い映画のワンシーンのように頭に焼き付いて離れない。 キラは今、医者になる為に医大へと通っている。 その理由は幼い頃病弱だったシンに関係していた。 キラとシンは兄弟といっても血の繋がりは無い。 妻に先立たれたキラの父親の再婚相手・・・それがシンの母親だった。 キラは兄弟同然のような親友、アスランがいたが、アスランは余所目から見てもキラにとっては兄のような立場だろう。 いくら自分が早くに誕生日をむかえるから、と言ってもそれは言葉ばかりで。 密かに弟が欲しい、と思っていた矢先に父の再婚の話がきて、そして弟もできると聞いてどんなに喜んだ事か。 まだ来ないの。 もっと早く来てもらうことは出来ないの。 幼いキラはそう何度も父にねだって困らせた。 始めて会ったシンの肌が、雪のように真っ白だったことに驚いたのをキラは今でもよく覚えている。 歳の離れた小さな弟。 大きな赤い瞳に自分が映れば幸せな気持ちになったし、癖のある柔らかな黒髪に触れれば自然と笑顔になっている自分がいて。 父親が忙しかった分、家族との時間をあまりすごす事が出来なかったのも事実。 シンの母親も仕事が忙しく、あまり家に居る事がいなかったのも重なってか、キラはシンのことを誰よりも愛し、よく熱を出して寝込んでいたシンの看病も自分から進んでやった。 苦に思うことも全く無かった。 それほどまでにキラにとって、弟であるシンの存在は大きいものだったのだ。 だからシンが寝込むたびに考えていた。 苦しそうな息を吐くシンを見る度に、自分の無力さが情けなかった。 『僕が医者だったら・・・いつでも見てあげられるのに・・・』 そう思わずにはいられなかった。 幸いシンは歳を重ねるごとに身体の方も良くなっていき、最近では熱を出す事すらほとんどなかったのに。 それなのにシンはつい数時間前、キラの目の前で倒れこみ、ベッドの上で苦しげに荒い呼吸を繰り返していて。 昔の思いのまま医大に入ったキラは、見ていることしか出来ない自分に苛立ちを隠せなかった。 そして目を覚ましたシンから事情を聞けば、傘も差さずに雨の中を走り回った、なんて予想もしなかった答えが返ってくる。 怒っていたのは、シンにだけじゃない。 それよりも未だに何も出来ない自分に苛立っていたのだ。 「・・・どうしてそんなことしたの・・・?」 思わず、そう聞かずにはいられなかった。 「・・・っ」 「・・・シン?」 キラの言葉に、シンは過剰なほど身を固くさせる。 毛布を握る手は力を入れすぎて爪先が白くなった。 キラはそれををそっと解き、シンの爪を指先で優しく撫でた。 「・・・シーン?」 未だに瞳に涙を溜めたままのシンに、キラは柔らかく声をかける。 ・・・やっぱり、自分はこの子には滅法弱い、とキラは息を吐く。 それにシンがこんなことを何も考えずにするはずがないのも、キラにはよく分かっていた。 弟という枠を跳び越して、恋人という関係になったのは、もう二年前のことになるだろうか。 自然に惹かれ合い、そうなる事が運命だったというように恋に落ちていった。 男同士、その上義理ではあるが兄弟だ。 そのこともあって、今の状態に落ち着くまでは本当に様々な事が合ったけれど、それでもどうしても好きで堪らなかったから。 離れたくないと思ったから。 それほどまでに愛しく思うからこそ、今回のことはキラにとっても大きな不安に苛まれてしまったのだ。 「シン・・・僕には言えない・・・?」 キラの言葉にシンは緩く頭を振った。 「でも、キラ・・・絶対呆れる・・・」 「それは聞いてみないと分からないな・・・」 「・・・呆れないって言えよ・・・」 シンは赤い瞳を潤ませたままキラの顔を睨み上げる。 そして、半ば観念したようにゆっくりと言葉を進めた。
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