returning place 2

戦争が終ったあの日、壊れそうなシンをアスランは僕に向き合わせた。




 『・・・キラ、デスティニーのパイロットの、シンだ・・・』
 『うん・・・知ってるよ。』

 シンは何も言わない。
 アスランの手で背中を支えられ、ぼんやりと焦点の合わない瞳でかろうじて僕を見ているというような感じで。

 『・・・シン・・・って呼んでもいいのかな・・・?』

 そう声をかけると、シンの瞳に薄く僕の姿が映った。

 『・・・なんでもいい・・・』

 小さな声。
 けれど、アスランから聞いていた彼の性格通りで、僕は不意に泣きたくなった。

 純粋で、あまりにも純粋すぎて。
 自分の持つ力の大きさも分からずに、言われるままに多くのものを傷つけた。
 全てを無くし、信じていた者に裏切られ、それでも弱音を吐こうとしないシン。
 シンは間違いなく、たくさんのものを、人を傷つけた。
 けれど自分で気付かないほどに、きっと彼は傷ついて傷ついて。

 『じゃあ、シンって呼ぶね。僕はフリーダムのパイロット・・・キラ・ヤマト。』
 『・・・知ってる。あんたの名前、嫌って程聞いた・・・』
 『そっか。僕もキラでいいからね。』

 僕は自分でも不自然だと思えるほど、普通にシンに言葉をかけていた。

 アスランからシンのこれからについて、相談されたのはその数日後だった。
 シンはAAの一室でほとんどの時間を眠って過ごしていた。
 医師の話では極度の疲労と、そして心に重く圧し掛かって吐き出せずにいた多くの緊張、不安、哀しみに、恐怖と。
 その多くが積み重なって、睡眠障害を起こしているという話だった。
 この大戦が終わる数ヶ月前から、シンはほとんど睡眠を取っていなかったらしい。
 眠れなかった時間を取り戻すかのように、多くの時間を泥のように眠っている。

 『・・・キラ、お前これからどうするんだ?』

 あの日、僕はAAの展望台に上り、一人で空と海を眺めていた。
 青い蒼い、たくさんの綺麗なあお。
 目に入ってくるものは、綺麗なものばかりだった。
 どれほどそうしていたか分からなくなってきた頃にアスランはやって来て、静かに僕の隣に立って。

 『孤児院に戻るよ・・・。ラクスは世界に必要とされてるし、僕は君達みたいな政治家には向いてない。』
 『キラ、それは・・・』
 『いいんだ、アスラン。僕は一人じゃない。』

 もどかしげに眉を寄せたアスランに、僕は笑いかけた。

 『あの場所にはマルキオさんも子供たちもいるし、母さんもいる。それにラクスやカガリ、それにアスラン、君だって遠くにいる訳じゃないだろ?』
 『キラ・・・』
 『それが分かってるから、いいんだよ。』

 昔から心配性な彼だから、きっと自分の事より僕の事を心配しているんだと思う。
 アスランは誰よりも僕があの場所に戻った方がいいと思っていると分かっていた。
 だからアスランを安心させる為にもそう言ったのだけれど、アスランは悔しげに唇を噛み締めて俯いていた。

 『・・・どうしたの?』

 顔を覗きこむように首を傾げた。
 頭の上に乗っているトリィが、その動きに合わせて鳴く。

 『・・・シンが・・・』
 『・・・うん。』

 アスランの口から出た名前に、僕は視線をそっと海へと向けた。

 『・・・何処にも行く場所がないんだ、あいつは・・・。帰る場所も無い、議長を手にかけたのは、シンだから・・・ザフトにも戻れない・・・』
 『・・・そう・・・』
 『俺が、俺があいつの支えになれたらと思ってた・・・。今まで何もしてやれなかった、だからこれからはって、そう思ったんだがな・・・でも俺じゃ駄目なんだ・・・』

 アスランは指の色がなくなりそうなほど、手を握り締めていた。

 『・・・どうして?』
 『どうして、だろうな・・・でも、シンから直接言われたんだ・・・』
 『シンが・・・』
 『ああ・・・、駄目なんだ・・・シンは俺が側にいることすら許さない。俺はあいつの支えには、なれない・・・』

 そして次の言葉が僕の口から出た事が、僕には今でもとても不思議だった。
 爪が掌を突き破りそうなほど力を込めて握っている、アスランの手をそっと開いて。その哀しみに滲む翠の瞳を真っ直ぐに見た。

 『・・・僕は、あの子に許されないかな。』

 アスランは、目を見開いた。
 当たり前だよね。
 僕も自分がこんなことを言っているのが信じられない。

 『僕があの子の支えになる・・・。でも僕は嫌われてるだろうし、上手くやっていけるかも不安だけどね・・・支えになるなんて出来るかどうかもわからない。でもこんな話を聞かされて、放っておけっていう方が無理かな。』
 『キラ・・・俺はそんなつもりじゃ・・・っ』
 『うん、分かってる。それがアスランだよね。』

 戸惑うアスランに、僕は小さく笑いながらそう言った。
 いつまで経ってもこの幼馴染の心配性は治らないんだろう。
 そう思いながら、彼が変わらないことは少し呆れたりもするけど、嬉しい事でもあるから。

 けれどそんな優しいアスランに、シンはまた苦しんでいたんだろう。




 「・・・もう、こんな時間か・・・」

 ご飯を食べ終わって、お風呂に入ったり他愛もない雑談をしているうちに、かなりの時間が経っていた。
 シンと話をすることが僕は好きだ。
 話かければ答えてくれるし、シン自らも話題をふってくることが多い。
 シンは僕が思った以上に話し好きだ。
 二人でテレビを見ながら、何時間でも並んでソファに座りながら話しをしている。
 それはいつもくだらないこと。
 この政治家がどうだとか、タレントがどうだとか・・・これが欲しいとか、これが食べたいとか。
 本当に何時間でもそんなことで笑いながら会話をしている。
 シンも僕の隣で幼い子供のように笑いながら、話したり、聞いたり・・・本当に他愛も無い事を二人でいつまでも話していた。
 あと10分もすれば日付が変わる。
 それくらいになれば、自然と眠気が襲ってきて僕は小さな欠伸をした。

 「・・・キラ・・・」

 けれど、シンは僕の隣で困ったように僕の名前を呟いた。

 「どうしたの?」
 「キラ、眠い・・・?」

 シンは不安そうに赤い瞳を泳がせている。
 シンがこういう目をするのは、今に始まったことじゃない。 
 一見、普通の少年と何ら変わらなく見えるけれど、戦争の傷跡はまだシンの深い深いところで、膿んでいる。

 「眠れないの・・・?」
 
 そう聞くと、シンは黙って頷いた。

 「そっか・・・どうする?もう少し話しよっか?」
 「いい・・・キラもう眠いだろ?薬、飲むから・・・」
 
 AAに来た頃から、厳密に言えば戦争時から燻っているシンの睡眠障害は未だに治っていない。
 戦争が終わった直後は、それこそ一日の大半をシンは寝て過ごしていたけれど、僕と二人でオーブに来てからは眠れない日々が何日も続いた事もあった。
 自然と寝るように、シンなりに努力はしているようだけど、それでもやっぱりほとんど効果はなかった。
 あの戦いの最中に戻ったみたいだ、とシンが笑ったのがとてつもなく痛かった。

 もう怖いことは何も無いよ。
 ずっと君の隣にいるよ。

 本当はそう言ってあげたいけれど、それがシンに必要な事と分かっていても、どうしても言えない僕がいる。
 シンが嫌いな訳ではない。僕はシンに好意を持っているし、シンも僕に対して少なからず好意を持ってくれていると思う。
 だからこそ、言えなかった。
 言ってしまったらもう戻れない。
 
 「でも、あの薬あんまり効かないんだよな・・・別のある?」
 「無いよ・・・あれじゃ駄目なの?」
 「ん・・・。なんか、中途半端なんだ。夢見ないくらいに深く眠りたいんだけど、あの薬は中途半端だから夢見る。そしたら起きるし・・・悪循環だ。」

 シンに気付かれないように顔を歪めた。
 シンが魘される事は、ミネルバにいた頃からよくあったらしい。
 そういう時、ルームメイトのレイがよく気遣ってくれたと、いつかシンの口からぽつりと零れたのを覚えている。

 「そっか・・・じゃあ、明日アスランにでも頼んで薬もらいにいこっか?」
 「・・・うん。」

 小さく頷いたシンに明るく笑いかけた。
 僕は立ち上がって、シンが眠れない時に飲む睡眠薬を取りに行く。



 僕はただただ臆病だった。
 シンと笑顔で向き合いながら、何も向き合っていなかった。
 それでもこの時は今のままでいいと思っていた。
 このまま、隣に座ってくだらないことで笑い合える日が、僕には心地好かったから。



←back/top/next→