returning place 4 戦争が終わって訪れた変わることの無い静かな毎日。 何も変わらなかった日常が、音を立てて崩れ始めた。 朝一番に、シンは上半身に何も身に付けないまま居間までやってきた。 シンの痩せた身体を見て、僕は朝食を作っていた手を止める。 「キラ、俺のシャツ知らない?」 「どんなやつ?」 「白に、赤いライン入った・・・」 どうやら着るものを探しているらしい。 シンの言葉に首を傾げて、思い出す。 確か、それは・・・ 「・・・昨日君が、明日はこれ着るからって言って、ソファの上に投げ置いてたんじゃなかったっけ?」 そうだ。 昨夜、洗濯物を畳んでいる時に、明日はこれを着るからここに置いておく、と。 そう言ってソファの上にそのシャツをシンは置いていた。 「・・・そう・・・だっけ?」 でもシンは覚えていない、という様に眉を寄せる。 ・・・ソファの上には、僕の言葉通りシンの言っていたシャツが無造作に置かれていた。 それをシンは本当だ、とだけ口にして手早く身に着ける。 僕は少しの不自然さを感じながらも、テーブルの上に置いてあるDVDが目に入ったのでそれに話題を移した。 「シン、この映画見たいって言ってたよね。アスランがDVD持ってきてくれたよ。」 「・・・映画?」 「うん、あのアクションが凄いって言ってたじゃないか。」 前、CMでちらりとしか見なかったけれど、シンは仕切りにこの映画の凄いところは・・・と僕に話してくれて。 もう一度見たい。 そう言っていたから、それを何気なくアスランに言うと、彼は思ったとおりに翌日にそのDVDを持ってきてくれた。 だから、シンがこの映画をもう一度見たいと言ったのは、つい昨日のことなのに。 「・・・・・・?」 シンは眉を寄せたまま、そのDVDのパッケージをじっと見つめていた。 それからだ。 何かが、何かがおかしいと思うことが多くなった。 シンは元々記憶力がいい方で、一度言った事、言われた事はなかなか忘れない。 あまり綺麗好きとは言えないけれど、何処に何を置いたとか。 そういうことはきちんと把握して物を無くす事も全くなかったのに。 最近はよく物を探している姿を見かけることが多くなったし、何かを頼んでも忘れてしまうことが多くなった。 でもそんなこともあるだろう、と。 僕は馬鹿みたいにそう考えていた。 「ラクスの新曲のCD届いたよ。聞く?」 「聞くっ!」 ラクスの偽者・・・といっては少し言い方が悪いかもしれないけれど、その『ミーア』の歌には何も興味を示さなかったのに。 ラクスの歌になると、シンは瞳を輝かせて聞き入っていた。 それを知ってか、ラクスは新曲を出した時、必ず発売日の前日にCDを送ってきてくれるようになった。 そのことにシンはとてもとても喜んで。 今回の曲も、シンは今に飛び跳ねるんじゃないかというほど喜んで。 気付けばオーディオの前に座って、シンはずっとラクスの歌声を聴いていた。 「シンは本当にラクスの曲、好きなんだね。」 この曲聞くの、これでもう何回目? それから何日経ってもオーディオの前で、ずっと同じ曲を繰り返し聞いているシンに、僕は少しだけ呆れて。 でもどこか楽しくてそう声をかけた。 「え?俺、これ聞くの初めてだよ?」 返ってきたのは、予想もしなかった言葉。 「・・・シン・・・?」 冗談を言っているのかと思った。 けれど、その瞳はどこも嘘をついているようになんて見えなくて。 CDのジャケットを手にとって、シンは無邪気に笑った。 「今回の曲、結構明るい感じする。やっぱりラクスさんの声、好きだな。」 明るいその声に、僕は心臓が凍りつきそうになって。 「シン、待って。どうしたの?」 震えそうになる声を必死に抑え、出来るだけ普段通りの声でシンに言葉をかける。 ジャケットから僕に視線を移したシンは訝しげに顔を顰めた。 「なんだよ、俺何か変な事言った?」 「だって、それ届いたの・・・もう一週間も前なんだよ?」 抑えられない。 声が、息が、震えてしまって。 「それから毎日、その曲ずっと聴いてるじゃないか・・・なのに、なのに何で覚えてないの・・・っ?!」 「・・・ぇ?」 「初めてなんてそんな筈ないっ!!届いたその日から、もう何回も何回も・・・!!」 床に座って呆然と目を見開くシンの肩を掴んだ。 間近で見開かれた赤い瞳を見ても、シンが嘘の言葉を吐いてるとは思えない。 いっそのこと、嘘だったらどんなに良かったか。 「でも、俺は聞くの初めて・・・」 肩を掴まれたシンは、何度も瞬きをしながら僕の顔を見上げた。 「嘘だ・・・っ!!ずっと一緒に聞いてただろっ!!」 お願いだから、嘘だって。 冗談だって。 そう言って欲しかったのに。 「しょうがないだろっ!!初めて聞くんだからっ!!」 何度か肩を揺さぶると、シンは強く僕の両手を払いのけ立ち上がって。 「・・・シン・・・っ!?待って、どこに・・・っ!!」 「うるさいっ!!キラには関係ないっ!!」 そして、僕の声に振り返りもせずに玄関まで走っていった。 まさか。 そんな筈無い。 一人だけになってしまった部屋で何度も何度も自分に言い聞かせる。 部屋の中にはラクスの歌声が優しく響いていた。 シンが何回も聞くから。 一緒に聞いていた僕は、もう歌詞まで覚えてしまった。 間違える自信もないほど、完璧に。 それなのにシンは初めてだと。 この曲を聴くのは、初めてだと。 身体が震える。 腕を、もう一つの腕で押さえつけどうにか収めようとした。 けれど、どうしようもない恐怖に、歯ががちがちと音を立てて。 曲が終わって、部屋に静寂が訪れる。 部屋の中が暗くなっている事が分かった。 でも、シンが・・・いない。 シンが帰ってこない。 僕は震える足を奮い立たせ、シンの出て行った外へと走った。 「シン・・・っ!シン・・・っ!!!」 名前を呼んで。 姿を探して。 どれくらい遠くにきただろう。 「・・・は・・っ、はあ・・・・・・」 立ち止まって乱れた息を落ち着かせようと、膝に手を置いて俯いた。 もう日は差していない。 外灯に照らされた僕の影が、足元から伸びている。 息を落ち着かせ顔を上げると、この場所が最近出来た公園であることが分かった。 随分遠くに来たと思ったけれど。 実際はそれほど遠くに来てはいなかったらしい。 ここに来るのは二度目だ。 つい先日、シンと二人で買い物の帰りに歩いた事があった。 僕の記憶には、新しい。 僕は一歩一歩公園の中、足を進めた。 そこそこ広い公園だから、僕は暗い道でその姿を見逃さないように目を凝らして歩いく。 そして、歩き出して数分後。 「シン・・・っ?!」 ベンチの上で膝を抱えて蹲っている、シンを見つけた。 「き・・・ら・・・・・・?」 聞こえるように大きな声で名前を呼ぶと、シンはゆっくりとその顔を上げて。 「シン・・・っ!!よ、かった・・・っ」 僕は駆け寄ってその華奢な身体を抱き締めた。 柔らかな黒髪に頬を寄せ、その体温を感じられるようにきつくきつく抱き締める。 シンの身体が震えていることがわかって、涙が溢れそうになった。 「キラ・・・キラ、俺・・・」 「うん・・・とにかく帰ろう・・・?お腹すいたでしょ?」 力ない声に頷いて。 身体を離して、その顔を覗きこんだ。 「キラ・・・俺、分かんないんだ・・・」 シンの顔は元から色素が薄いほうだったけれど。 今は血の気が引いて、真っ白になってしまっていた。 「どこに行ったら、いいのか・・・どう帰ったらいいのか・・・分かんないんだ・・・」 掠れた、声。 「思いだせない・・・っ!!どこに帰ったらいいの・・・?!本当に、俺に帰る場所あるの・・・っ?!」 「・・・シ・・ン・・・・・」 僕の腕に縋りつくシンが泣く事はなかった。 でもそれ以上に、悲しい表情で。 こんな時でも、決して泣こうとしないシンが痛くて、切なくて。 僕はただ、その身体を抱き締める事しか出来なかった。
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