returning place 6



 運命というものは時にひどく残酷で。
 けれどそれに対して、僕はとてもとても小さくて。










 
 皆が帰った後、結局僕は一睡も出来なかった。
 ただ一人でソファに座り、外が明るくなっていくのをどこか遠く感じていた。
 テーブルの上には、ほとんど手のつけられていないコーヒーカップが4つ残ったまま。

 それにぼんやりと目を這わせていると、小さくドアの開く音が聞こえた。
 僕意外に今この家にいるのはただ一人、シンだけだ。
 僕はソファに沈んでいた身体を起こし、シンの元へと歩みよった。

 「シン・・・目、覚めた・・・?」

 シンの顔を覗きこんで言葉をかける。
 その表情はいつもと何も変わらない。
 赤い大きな瞳に、透けてしまそうな真っ白な肌。
 何も、何も変わらない。
 いつもと同じ、僕が知っているシンと何も変わらないのに。

 「さっきね、ラクスとカガリも来てたんだよ・・・?シンにお土産持ってきてくれたんだ。」

 僕はシンの背中を押して、居間へと足を進めた。
 そしてテーブルの横にあるサイドボード上の箱の中から、いくつかのお菓子をシンの掌の上に置く。
 ラクスとカガリが甘いものが好きなシンの為に、と買ってきてくれたものだ。

 有名な菓子店のそれらは、シンも何度か食べた事がある。
 僕も一緒に食べたけど数が豊富で見た目も綺麗な焼き菓子やチョコレート、どれもみんな美味しくて。
 シンはあっという間に全ての包みを空にしてしまっていた。

 その時のことを。
 このお菓子を。

 「シン・・・これ、好きだったよね・・・」

 覚えてる?

 その言葉を、音にすることが出来なかった。
 シンの掌に置かれたものとは別の包みを開けて、自分の口の中にいれる。
 チョコレートのふわりと甘い味が口内に広がっていくけれど、くちどけの良いそれは、瞬く間に溶けてなくなってしまった。
 
 残ったのは微かに残る、甘い後味。

 シンも自分の手の上に置かれた包みの一つを開けて、小さな口の中に運んだ。
 綺麗な焼き色がついたそれは、さくっと音を立てて形を崩してゆく。

 「・・・美味しい・・・」

 それを飲み込んだ後に、シンはぽつりと言葉を零した。
 そしてまた別の包みを開けて。
 ゆっくりと口を動かすシンの姿を僕は黙ってみていた。
 
 何て言葉をかければいいのか、分からなかった。

 「昨日、さ・・・」

 シンが俯いたまま、小さな声で言う。

 「・・・うん。」
 「昨日、どこ行ったんだっけ・・・?」

 震えだしそうになる唇を、僕は必死に噛み締めた。
 
 「なんでラクスさんとカガリさん、そんな夜中に来てたんだ・・・?」
 「そ、れは・・・」
 「俺のせい・・・だろ・・?」

 上手く言葉を繋ぐことが出来ない僕を、シンの赤い目が見上げる。
 いつにない柔らかい表情が返って痛々しくて。
 今にも消えてしまいそうなほど儚くて。
 
 「・・・シン・・・」

 目の前にいるのか確認するように声に出した名前。
 シンは小さく頷いた。
 そして・・・

 「ここ、出て行く」

 柔らかい顔のまま、短くそう告げて。
 その一瞬、僕は息をすることすら忘れた。

 出て行くって何?
 ここを出るって何?
 
 たくさん聞きたい言葉が出てくるのに、どれも形にならない。
 聞きたい。
 聞かなきゃ。
 たくさん、聞かなきゃいけないのに。
 どうしてこの口は、動かないんだ。

 シンは言葉を続けていく。

 「俺病気なんだろ?昨日どこ行ったか、覚えてないけどそれだけはなんとなく分かる・・・さっき、ネットでも少し調べた」
 「そ・・・れは・・・」
 「・・・俺がいたら、キラも、アスランさんもラクスさんもカガリさんも・・・みんな苦しいよ・・・」

 赤い瞳が細められた。
 
 「みんな、みんな俺こんななのに、みんな凄く良くしてくれた・・・嬉しかった・・・」

 言葉の一つ一つが矢になって、僕の胸に突き刺さるようだった。

 僕は何もしてあげられなかったのに。
 自分のことしか考えていなくて。
 ずっと一緒にいながら、君のことから目を逸らしていたというのに。

 そんな顔で、言葉で・・・

 「でも、もういい・・・放っておいてもいいから」

 最後に自分を偽ってまで・・・

 「自分のことは自分で出来るから。俺一人でも大丈夫だから・・・記憶も、多分大丈夫だと思うから・・・」
 「何が・・・」

 僕を許そうとなんてしないで。
 
 「何が大丈夫だっていうんだ・・・っ!!そんなにここを出て行きたいの?!一人になりたいって言うのっ?!」

 気付けばシンの細い肩を掴んで声を荒げていた。
 シンは驚いたように、目を見開く。

 「一人で大丈夫だなんて・・・!!大丈夫だなんて・・・っ!!!」


 大丈夫な筈ないじゃないか。
 誰よりも一人を嫌って、人の温もりを求めているっていうのに。
 それなのに大丈夫な筈ないじゃないか。
 
 僕が君に触れることを怖がっているのは本当だよ。
 だって、すぐに壊れてしまいそうなんだ。
 すぐに僕の目の前から消えてしまいそうなんだ。
 触れてしまうと離せなくなるのが分かっているのに、離したくないのに、それなのに君は消えてしまいそうなんだ。

 僕は臆病者なんだよ。
 自分が傷つきたくない臆病者なんだよ。
 自分さえ良ければいいどうしようもない我侭な奴なんだよ。

 
 「キラ・・・泣くなよ・・・」
 「・・・シンが泣かせたんだよ・・・」

 言いたいことは本当にたくさんあるのにどれも言葉にならなかった。
 ぼろぼろと涙を零す僕の顔を覗きこんで、シンの細い指が目元をそっと掠める。

 「・・・ねえ、シン・・・出て行くなんて言わないで・・・」

 震える声で僕はシンにそれだけを言葉にした。
 涙で霞んだ視界に映ったシンは、困ったように眉を寄せて。

 「で、も・・・俺・・・」

 口篭るシンの身体に、僕は堪らず腕を回す。
 きつく強く、その身体を抱き締めて柔らかい髪を頬に感じる。

 なんて細い腕。
 なんて頼りない肩。

 「・・・消えないでよ・・・シン・・・」

 シンの白い掌が、僕の服の裾を答えるように握った。







 
 でも、こんな我侭な臆病者だけど。


 君を愛したから、何よりも君を愛しいと思うから。

 その君に愛されたいと願ってしまうから。


 こうして触れても、消えないで・・・





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