ねこ 3



 レイが俺の家に来てから・・・一週間。


 肌寒さを感じるようになる、初秋。
 学校に、その後にバイトに向かって、家に帰る頃には外は真っ暗だった。
 電灯が灯る住宅街を俺は足早に駆け抜けていく。


 「ただいま!」


 カンカンとアパートの安っぽい階段を駆け上がり、部屋のドアを勢い良く開けた。
 家族が亡くなってから、言わなくなったその言葉。

 けれど、今は家族が出来たから。
 だから俺はその言葉を口にする。

 足元に擦り寄ってくる小さな命。
 抱き上げると小さく鳴いて。
 まるで、おかえりって言ってくれているよう。

 「ただいま、レイ。」
 
 もう一度レイの頭を撫でながらそう口にして、レイを床へと降ろす。

 「今、ご飯の用意するから・・・ちょっと待ってろよ。」

 俺の言葉に、レイはもう一度小さく鳴いた。



 レイが家に来てから、家族を亡くして塞ぎ込んだままだった俺の生活が違った。
 家に帰ると一人だったのが、いつも俺を待ってくれているレイがいる。
 学校やバイトから帰ってくると、必ず玄関で出迎えてくれる。
 寝る時もレイは絶対俺の傍から離れなくて。
 時折、俺は家族の死んだ時の夢を見て飛び起きることがある。
 その時だってレイは俺のすぐ傍にいて、手や頬を舐めて安心させてくれる。

 そんなレイの存在に、どれだけ救われたのだろう。
 たった一週間で、レイは俺にとってかけがえのない家族になった。

 ずっと一緒にいてくれて。
 ずっと傍にいてくれて。

 もう・・・ここに一人じゃない。

 そう、思わせてくれた。



 「・・・猫缶無くなってきたなー・・・・・・」

 レイのご飯の用意をしながら、俺は呟いた。

 俺はあまりお金を持っていなくて。
 それを知っているアスランさんとキラさんが、猫のご飯やトイレなどの一式のものを買ってくれた。
 俺は悪いと思って断ったけれど・・・

 『だって、シンがこんなに買ったら飢え死にしちゃうよ?』
 『・・・否定は出来ないな。』

 キラさんとアスランさんにそう言われ、俺は押し黙る事しか出来なかったから。
 だって実際、俺が飢え死にしてもおかしくない額の買い物だったから。
 その場は二人に甘えることにした。

 けれど、その時に買ってもらった缶詰ももうすぐ尽きてしまう。

 『無くなったらまた買ってあげるから。』

 そう言われたけれど、さすがにそこまで甘える事は出来ない。
 一人考えながら缶詰の中身を皿に移し、床に置いた。
 皿に盛られたそれを、レイはゆっくりと食べていく。
 「いっぱい食べろよー・・・」
 言いながら、レイの柔らかい毛並みを優しく撫でて。

 俺はそこで、今日の朝に見た新聞のチラシを思い出した。

 「確か・・・明日安かったはず・・・!!」

 思い出したら忘れる前に即実行。
 すぐさまそのチラシを床に広げ、俺は座り込んでじっと目を凝らし、目当てのものを探す。


 「やっぱり・・・!!」


 目当ての猫缶はすぐに見つかって、俺は声を上げた。
 すると、ついさっきまでご飯を食べていた筈のレイが俺のすぐ傍にいて。

 「・・・レイ?もう食べ終わったのか?」
 
 皿に目線をやると、まだ中身は残っている。

 「・・・そっか、俺が大きい声出したから・・・」

 伸ばした手に、レイは喉を鳴らしながら擦り寄ってきた。
 
 レイは、俺の声や感情にはとても敏感だ。
 大きな声を出したり、哀しかったり寂しかったりすると、こうして俺の傍に来てくれる。


 「明日、お前のご飯買ってくるからな。」


 そう笑いかけた俺の頭の中では、今月の生活費の数字が慌しく動いていた。












 次の日は、珍しくバイトが休みで。
 俺は授業が終わると同時に、教室を飛び出す勢いで席を立った。
 そして、真っ先に目当てのスーパーへと走りこもうと、玄関に向かって走る。


 「あ、シン!!」

 「ルナ・・・」


 しかし、その玄関で呼び止められ、俺は足を止めた。
 ルナマリアは一つ年上の幼馴染で、昔は近所に住んでいたからよく遊んでいた。
 今は俺があのアパートに引っ越してしまったから、そんなに頻繁に会うことはないけれど。
 けれど、一人暮らしの俺を気遣ってくれる一人の内でもあって。

 「今日バイト休みなんでしょ?」
 「そうだけど・・・なんで知ってるんだ?」
 「なんでって・・・あんた自分から言ってたじゃない。」

 俺の目の前で腕を腰に当て、眉を寄せるルナ。
 そういえば・・・
 言われて思い出す。
 先月シフトが決まったときに、今日しか休みが無い、とルナに言っていた。

 「ごめん、思い出した。」
 「よしっ!」
 「よしって何だよ・・・」

 まるで飼い主とそのペットみたいだ・・・
 と、その言葉が頭を過ぎった時に、俺は本来の目的を思い出して。


 「特売・・・!!」
 「ちょっと待ってよ・・・!!」


 急いで学校を出ようとした俺の腕をルナに掴まれる。

 「何か用でもあるわけ?」
 「そうだよっ!今日スーパーで猫缶の特売やってるんだっ!!」

 売れ切れたらどうするんだ、と声を続けると、何故かルナは酷く訝しげに表情を顰めた。
 別に俺が変な事言った訳でもない。目的を言っただけだし、おかしい事なんて何もない筈だ。
 そう思い、内心早くスーパーに駆け込みたい気持ちを抑えて、ルナの言葉を待つ。


 「・・・あんた・・・」
 「何だよ。」
 「猫缶食べてるの・・・?」
 「違うよっ!!!」


 思ってもみない言葉。
 確かに俺はお金無いし、生活大変ではあるけれど。
 しっかりと食事が出来るくらいの余裕はある。

 「一週間前くらいから猫飼ってるんだ。そいつのご飯。俺のじゃないからなっ!!」
 「よかった・・・って、猫飼ってるなんて聞いてないわよ?」
 「言ってないから・・・・・・なあ、俺そろそろスーパー行ってもいい・・・?」

 いつまでここに立ち止まっていればいいのか。
 俺はあまり気の長い方ではない。
 早く目的のスーパーへ行きたくてしょうがないんだ。

 「じゃあ、あたしもついてく。」
 「はあ?」
 「見てみたいし。その猫。」

 突然の展開に止まってしまった俺を余所目に、ルナはさっさと靴を履き替え玄関の外に出ていて。


 「早くしないと置いてくわよー!!」


 玄関先で手を振りながら俺に声を掛けてくる。
 呼び止めたのはルナだろ、とそんな事言ってもルナに通じるとは思わないから。
 俺は言われるままに外靴を履き、先を歩くルナの隣へと走った。
















 無事に予定していた数だけの猫缶を買い、家のドアを開ける。
 いつものようにレイが出迎えてくれて、その姿見たルナが感心したように声を上げた。

 「名前なんていうの?」
 「レイ。」

 玄関先に持っていたスーパーの袋を置く。
 そして空いた両手でレイを抱き上げ、家の中へと足を進めた。
 お邪魔します、と言葉を出してルナも俺の後に続いて。

 その場に腰を下ろし、レイを床に降ろした。
 
 「おいでおいでー」

 ルナはそう手招きしても、レイが俺の隣から動くことはなく。
 何度か声を掛けた後、ルナは諦めたように溜め息をついた。

 「随分と懐かれてるわね。というか、シン以外見えてないみたいね・・・レイは。」
 「人懐っこいと思ってたんだけどな・・・。そっかー、俺だけかー。」

 いつも俺の傍にいて。
 家にいる間離れてる時間なんてほとんどないくらいだから、きっと人懐っこくて、誰にでもそうなんだろうと思っていた。
 けれど、レイがそうしてくれるのは俺にだけだと思うと、ルナには悪いけど嬉しいのが本音。
 レイの喉元を擽るように撫でてやると、レイは喉を鳴らして俺の指に擦り寄った。

 「・・・良かったんじゃない?」
 「え?」

 その様子を見ていたルナが、小さな声で俺にそう言って。
 俺は何の事か分からずに、ルナの顔を見返した。
 ルナは優しい表情で微笑んでいて。

 「シンが、そんな風に笑ってるの久しぶりに見たから。」
 「ああ・・・」

 家族を亡くしてから、あまり笑う事が出来なくなった。
 その時は楽しくても家で一人になることを思うと、どうしても寂しく、哀しくなってしまうから。
 でも今はレイがいる。
 家に帰っても一人じゃない。
 だから、いつの間にか笑う事が自然になっていた。

 「レイが来てくれて良かったわね。レイもシンのこと大事な家族だと思っているわよ、きっと。」

 その言葉に、俺は小さく頷く。

 「・・・そう、思っていてくれたらいいんだけどな。」

 俺がレイをかけがえのない家族だと思うように、レイも俺の事をそう思っていてくれたらいい。

 そう思っていてくれるかな・・・
 俺はレイの家族でいられるかな・・・

 心の中でそう口にしながら、レイの小さな頭を軽く撫でる。
 レイは蒼い眼を優しく細め、俺の指をぺろりと舐めた。














 次の日。
 いつも通り学校へ行き次の授業の準備をしていたら、ルナが入り口から顔を覗かせて。
 ルナがわざわざ一学年下の俺の教室まで来るのは珍しい。
 だから驚きつつ、俺は席を立ってルナのいる場所へと近づいた。


 「何か忘れ物でもしたのか?」


 そう聞くと、ルナは首を横に振り、俺に小さな紙袋を差し出した。

 「・・・何これ?」
 「開けてみて。」

 明るい笑顔を湛えながら、そう言われて。
 俺は手渡された紙袋をそっと開けた。


 「・・・これ・・・」
 「綺麗でしょ?昨日帰るときに見つけたの。」


 中から出てきたのは、首輪。
 蒼いシンプルなベルト部分に、銀の少し大きめの鈴がついている。
 揺らすと綺麗で透き通るような音が聞こえた。

 「レイに似合いそうだなーって思って。付けてあげて?」
 「うん、ありがとう・・・ルナ。」
 「どういたしまして。」

 お礼を言うと、ルナは短いスカートを翻し自分の教室へと戻っていった。
 俺は自分の席へと戻り、貰った首輪を見て。
 
 蒼いベルトの色が、レイの眼の色に似ていると思った。
 綺麗な色だからきっとレイに似合う。


 家に帰って、早く見せてあげたいな・・・・

 
 喜んでくれるかな?


 逸る気持ちを抑えて、俺は鞄の中にその首輪をしまい込んだ。







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