no title 2

少しだけ肌寒い夜だった。

 アカデミーに入学してから、3ヶ月ほどが過ぎた辺り。
 学校にも慣れ、何を不満だと思う訳でもなく毎日を過ごしていた。

 同室であるシン・アスカとの会話はまるで無いが、それも返って有り難いほどだ。
 レイ自身、必要以上に人と関わることはあまり好きではない。
 集団行動に支障をきたすようなことをするつもりはないが、必要最低限の接触で済むなら、それに留めておきたい。
 そういう意味で考えると、このルームメイトは最適だ。
 
 シンは、普段から誰かに寄っていく事も、誰かに声をかけられているところですら見たことは無い。
 いつも一人で席に座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 しばしば喧嘩をして帰ってくることもあったが、そんなこと自分には全く関係ない。
 同室だというだけで、気にかけることも無いだろうしシンもそれを望んでいると思っていた。

 無表情か、喧嘩の時や訓練の時に見せる鬼気迫った表情。
 それかぼんやりとした生気の無い表情。
 レイがそれまで見たことのあるシンの表情は、それくらいだ。
 自分自身も無表情だとか無愛想だという自覚はあるが、シンはそれを上回っていたのではないかと思う。

 自分には関係ない。
 ただのルームメイトの何者でもない。

 そう思っていたことが、変わったのは・・・あの夜。


 「・・・・さ・・・・・ん、・・・ぁさ・・・・・・っ」

 小さな声が聞こえ、目が覚めた。
 声は震えていた。

 自分の声ではない。
 そうなれば、声の主は只一人。

 「・・・シン・・・?」

 小さく名前を呼んでも、背中を向けたシンからは何も返って来ない。
 返ってきたのは揺れる息遣いだけで。

 どこか、具合でも悪いのかもしれない。
 
 そんな考えがふと頭の中に浮かび、レイはベッドから降りた。
 会話という会話を特にしたことがなくても、シンはレイのルームメイトに代わりはない。
 立てないほど苦しんでいるのかもしれない。
 そんなルームメイトを放って置けるほど、自分は非情でもない。

 「シン・・・?」

 シンの眠るベッドのすぐ横まで移動したレイは、その顔を覗きこみ・・・そして言葉を失った。

 レイに背中を向け、自分を抱き締めるように身体を丸めて。
 全身を震わせながら涙を零して。

 こんなシンは見たことがなかった。
 何かに怯え、身体を震わせながら泣いている・・・小さく幼い子供。
 今、レイの目の前にいるシンは、そうにしか見えなくて。

 「シン・・・、シン、大丈夫か・・・?!」

 レイは戸惑いながらも、なんとかシンを起こそうと、その身体を揺らす。
 何度かそれを繰り返すと、シンがゆっくりと目を開けるのが分かった。
 薄く開いた赤い目が、レイの目線に合わされる。

 「・・・と・・・さん・・・、かぁさ、ん・・・?」

 涙に濡れた目でレイを見上げながら、静かに手を伸ばした。
 
 「・・・まゆ・・・・・・・」

 今にも消え入りそうな声で紡がれた、言葉。

 シンはオーブの難民だと聞いている。
 家族をこの戦争で失ったというのも、シンと同室ということが決まってからギルバートから聞いていた。

 レイは思わず、伸ばされた白い手を握っていた。
 シンの手は冷たく、体温が感じられなくて自分の熱を分け与えるかのように、レイはシンの手を握り締める。
 その熱を感じたのか。
 シンも答えるようにレイの手を弱々しくながらも、握り返して。

 そして、涙が滲む赤い瞳を柔らかく細めた。


 始めて見る、シンの笑顔だった。




 それからだ。
 シンのことが気になり始め、次第に膨れ上がっていく気持ちに戸惑い始めたのは。
 今までこんなこと無かったのに。
 自分には関係ないと、ただのルームメイトとしか思ったことが無かったのに。

 あの夜の事を、シンは覚えていないらしい。
 翌朝、何事も無かったかのように、またいつものシンに戻っていたから。
 
 そして、その夜からちょうど一週間が過ぎて、レイはシンに思いを告げたのだ。



 


 







 ゆっくりと目を開けると、最初に目に入ったのはシンの黒髪だった。
 レイの胸に顔を埋めてぐっすりと寝ている。

 「・・・・・・夢、か・・・」

 レイは小さく呟き、シンの髪を撫でた。

 シンと出会った最初の頃と。
 シンに恋をしたあの夜・・・そして思いを告げた時の夢。

 あの頃は、ただただ嬉しかった。
 思いを告げてからシンの態度は正反対に変わり、今のようにレイに存分甘えてくるようになって。
 それに伴うように、周囲のシンに対する見方も変わってきた。

 雰囲気が柔らかくなって。
 話してみるとどこかあどけなさを感じる事もあって。
 笑顔が、案外幼くて。
 
 自分がシンのことを知る度に、また周囲もシンを知っていく。
 それは少し複雑な思いではあったが、あの頃の・・・何もかもを拒絶しているシンの姿はあまり見たいものではなかったから。
 それにそうしてシンを変えていったのは紛れも無い、自分。
 そのことが嬉しくもあった。

 けれど、アカデミーを卒業し、共に赤い軍服を身に纏った今。
 腕の中で眠るシンを見て、無性に不安になることがある。


 シンは、本当に自分を必要としてくれているのか・・・と。
 

 確かにシンはレイの言葉に対し、頷いた。
 しかし、あまりにもあっさりとしていた答えと、翌日からの急激な変化。
 当初は舞い上がっていて考えた事も無かったが、それは時が過ぎていく程大きくなっていった。
 
 誰でも良かったのかもしれない。
 いつでも、傍にいて。
 こうして、抱き締めて。
 常に優しく包んでくれる者ならばシンは誰でも、自分以外でもいいのではないか。

 そんな考えが嫌でも浮かんでしまう。
 
 レイとシンはアカデミー当初から、もう数年に渡る付き合いになるが、所謂身体の関係というものは無かった。
 あるのは小さなキスと、互いの身体に回る腕。
 男同士という理由もある。
 自然の摂理に適っていない行為は、受ける側にとって想像以上の苦痛を伴うと聞く。
 
 触れたくないわけが無い。
 黒髪に触れれば、その白い頬に。
 頬に触れれば、もっと身体の奥深くまで。
 シンの全てに触れて、口付けて、その赤い瞳が快楽に溺れた様をこの目に焼き付けたい。
 そう思わない日は無いに等しかった。

 でもレイは、シンがそれを望んでいないように思えたのだ。
 不満を言ってくる訳でもない。
 熱の篭った瞳で見つめてくる訳でもない。
 ただ、子猫が母猫に甘えるようにぴったりと擦り寄ってくるだけで。
 シンが今のままの関係を望むなら、そうしたいとレイは思う。
 それ程に大切で、傷つけたくない存在だから。

 しかし、レイは考えていた。
 シンが大切だ。
 大事で、離れたくないと思うのはアカデミーの頃からずっと変わっていない。
 だが、このまま不安を抱えてシンを抱き締めても、とても空虚なものにしか感じられなかった。
 腕の中にいる筈なのにとても離れているように思えた。


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