6、好きだって想った時が


 シンから何の連絡も来ない。


 「キラ・・・仕事しろ。手、止まってるぞ?」
 「・・・んー・・・」

 キーボードの上に手を置いたまま固まっているキラに、見かねたアスランが声をかける。
 しかし返ってくるのは生半可な返事だけで、一向にキラの手が動く気配はない。思わずこめかみに青筋が立ちそうなのを堪えて、その耳元で言ってやれなければ駄目なのかと立ち上がろうとするのを止めたのは、キラの双子の姉であるカガリだった。
 パソコンを前にぼうっとしている友人であり弟であるキラの様子を、二人で見る。
 キラは相変わらずぼんやりとしたままパソコンの前に、ただいるだけというような状態だ。

 「最近のキラはずっとこうなんだ・・・家にいてもぼーっとしてるだけで、何があったかも教えてくれないし・・・」
 「教室でもそうだしな、俺にも分かってるんだ・・・だが、このままにしておいても仕事は溜まる一方だぞ?現に今の時点で結構な量が溜まってるからな・・・」

 後の苦労を考えて、アスランは大きく溜息を吐いた。
 それ程広くもない生徒会室の中だ。少し離れた場所でアスランとカガリが話しているといっても、その会話はキラには聞こえていた。遠回しな嫌味とも取れる会話だが、二人がそれを分かって話しているのかどうかはキラには分からなかった。何せアスランもカガリも、二人揃って超が付く程の天然なのだ。

 「今日だってあいつ真っ直ぐ帰ろうとしてたんだ・・・。それをなんとかここまで引っ張ってきたっていうのに・・・」

 先ほどよりも大きな溜息がキラの耳を突く。アスランの言いたい事はキラにも良く分かっていた。ここで仕事を進めて置かなければ後で困るのは自分だという事も、周りにも迷惑がいく事も。
 分かっていても一向に手が動かないのだ、どうしようもないとキラは半ば諦めていた。
 
 シンからの連絡が一向に来ない。
 キラはあの日、子供のように泣きじゃくるシンを初めて見た。薄い肩を震わせて泣くシンを、キラはただ抱き締める事しか出来なかった。
 何でシンがあんな風に泣いたのかもキラには分からない。ただ、シンは泣き出す前に小さな声で何かを聞いてきたような気はしたが、それがなんなのかキラには聞き取る事が出来なかった。
 こんな状態のシンを一人で置いては行けないと、キラはもう一泊しようと思ったが、翌日に普通通り学校がある事でシンに咎められて渋々帰宅した事をキラは今になって後悔している。
 翌日、風邪を引いた、治るまで会えないと簡潔なメールがシンから届いた。キラがお見舞いに、看病にと言ってもうつるから駄目だの一点張りで。
 治ったら連絡するから。
 その一言で、キラがただひたすらシンからの連絡を待って、もう一週間以上が経つ。
 (風邪大丈夫なのかな?こんなに連絡が無いなんて、酷くなってるんじゃないかな・・・?でも、本当に風邪・・・?)
 シンの尋常でない様子を思い出すと、それすらも疑ってしまう。
 (・・・だとしたら、なんでそんな事・・・?)
 頭の中がぐるぐると掻き回されているようだ。考えれば考えるほど混乱する。考えても考えても答えなんか出てこなくて。
 その時、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が震え出した。キラは慌てて相手を確認すると、顔色を変えて通話ボタンを押した。

 「シン・・・っ?!」
 『あ、キラ・・・ごめん、今いい?』

 久しぶりに聞くシンの声に、キラはほっとしながらも、シンの言葉一つすら聞き逃さないよう携帯電話を握る手の力を強める。
 一応ここは校内なんだが、と呟くアスランの言葉は聞こえないふりをする。校内ではあるが生徒会室役員以外の出入りは少ないし、今はアスランとカガリと、キラの3人しかいない。少しくらいは見逃してもらおうとキラは会話を続ける。

 「いいけど・・・ねえ、シン大丈夫なの?連絡なかったから、凄く心配したんだよ?風邪治った?」
 『・・・ん、大丈夫。心配かけてごめん』
 「それなら・・・いいんだけど・・・」

 以前よりも少しトーンが低く感じるシンの声色。本当に大丈夫なのかとキラはシンに問いたくなったが、シンがそれを望んでいないような気がして。
 少しの無言が続いた後、先に声を出したのはシンだった。

 『・・・テスト』
 「テスト・・・?返ってきたの?」
 『うん・・・赤点とかなくて、順位もそこそこ良かった』
 「そう・・・頑張ったね、シン」

 小さな声で、キラのお陰と続けられ、キラは僅かに苦笑したと同時に、シンが学校に行ける位には回復していたのか分かる。
 それなら連絡くらいくれても、という怒りにも似た思いと、テストに対して結局何もしてあげられなかったという罪悪感でキラは複雑になった。
 テスト期間の、本来シンの家庭教師を自負しているなら一番大事だと言える時期に、キラはシンとセックスをした。
 それが、シンからの誘いであっても、それからというもののキラは二日と開けずシンを抱いていたのだ。自身の理性の軽さにキラは自己嫌悪すら感じた。
 シンがキラの事を、只の友人、若しくは体の良い家庭教師くらいにしか思っていない事は百も承知だった。だからこそシンの家に初めて呼ばれたあの日の出来事は、今でも奇跡に近いものだとキラは思っている。
 余りの衝撃に、テスト勉強を一番に優先させる時期だと分かってはいたのに、シンが自分の想いに答えてくれたのだと思うと、我慢すら出来なかった。シンに会えば確かめるようにその身体に触れたくて、しょうがなくなった。
 結局、家庭教師としての時間は減るに減ってしまった。それでも要点だけを押さえ、よく当たると専ら評判の自分の勘でヤマを張り、シンに負担の少ない最低限の勉強方を実践はしたのだけれど。シンの実力ならそこそこなんかじゃなくて、もっと上を目指せたと思う。
 (家庭教師失格だな・・・)
 一人溜息を吐くと、シンが僅かに息を呑んだのが分かって。
 どうしたのかとキラが問うより、シンの方が早かった。

 『そ、それでさ・・・もう、いいから』

 何がいいというのか。分からずにキラは首を傾げる。

 「・・・何が?」
 『もう、家庭教師とかいいから。ちゃんと授業ついていけるようになったし、一人でも大丈夫・・・やってけると思うから』
 「・・・そ、う・・・なんだ。うん、それなら良かった・・・」

 呆れられてしまったか、と内心深く項垂れた。考えて見ればそれもそうかと納得出来てしまう。
 あれだけ声を高らかにシンの家庭教師役を半ば無理矢理に仰せつかったのはいいが、肝心の結果を出せなかった。寧ろ邪魔してしまった。
 それが初めての時だけなら、まだもう一度チャンスをとも言えるが、それから何度もシンに求めたのはキラだ。
 シンの負担にはなりたくない。一人でも大丈夫だと、やっていけると言う事は、家庭教師としては喜ばしい事の筈だ。応援しなければいけないのに。
 (・・・また、何かあったら流石に相談してくれるよね・・・?)
 そう言い聞かせても、それでもシンと自然に繋がる家庭教師としての時間を失うのは、とても寂しく思えて。自業自得とは分かっていても、なんだかシンが少し遠のいてしまったような気がして無性にやるせなくなる。
 何処となく胸の中に広がる不安を振り払うように、キラは出来るだけ明るい声で次の話題に移ろうとした。
 次に会った時に言おうとしていた事だが、早いほうがいいだろうと自分に言い訳をする。本当は他に何を言えばいいかわからないだけなのだ。

 「あ、あのね、シン。この前言ってたラクスとの食事の件なんだけど、結構ラクスが張り切っちゃって。シンの都合さえ良ければ・・・」
 『・・・行かない』
 「・・・シン?」

 返ってきたのはキラの予想と正反対の答えだった。
 シンはラクスのファンだと聞いていたし、ラクスと初めて会った時も緊張こそしていたが、喜んでいたと思っていた。
 ラクスを見るシンは、頬を赤くして少し緊張した様子でとても可愛くて。ラクスもそんなシンをとても気に入ったらしく、基本いつも愛想のいいラクスだが、あの時はいつも以上に何だか妙だと思えるほど愛想が良かった。それに返すシンの笑顔も何時も以上に明るく見えて。
 思わずキラがラクスに嫉妬してしまう程に。
 だから、思いがけない強い口調にキラは困惑を隠せなかった。

 『ラクスさんには悪いけど・・・俺行かないからな。キラとももう会わない。』

 シンの言っている言葉の意味が、キラにはすぐに理解出来なかった。ただ、漠然とシンの言葉が頭の中を渦を巻いているように思えた。
 頭よりも先に身体が反応したのか、手が微かに震えているのが分かる。

 「シン・・・?シン、何言って・・・何でそんな事言うの・・・?待ってよ・・・っ」
 『家庭教師とか無くなったら会う理由無くなるよな?・・・今までありがと』
 「シン・・・っ!!待ってってば・・・っ」

 縋るように叫んだ言葉がシンに届いたかは分からない。携帯電話からは通話が切れた事を意味する無機質な電子音が流れているだけだ。
 急に叫んだかと思うと、呆然としたまま携帯電話を耳に当てるキラに、様子を伺っていたアスランとカガリが心配そうな顔で歩み寄ってくる。

 「・・・キラ?今の電話シンからか?喧嘩でもしたのか?」
 「シンってキラが家庭教師してる子のことか?何かあったのか・・・?」

 カガリに続いてアスランがキラに声を掛ける。
 幼い頃から慣れ親しんでいる二つの声へ、キラが半ば反射的に顔を向けると、二人は揃って目を見開いた。

 「な、お前どうしたんだ・・・?!酷い顔してるぞ?!」
 「・・・そんなに酷い・・・・・・?」

 信じられないような顔で見てくるカガリに、キラは力なく口元を歪めた。アスランもカガリと同じような表情でキラを見ている。この二人がこんな顔をするのなら、よっぽどなのだろう。
 けれど、キラには今の自分の顔などどうでもよかった。先ほどのシンからの言葉の方に体中、全部の神経を持っていかれたように、それ以外の事を考えられない。
 (・・・もう、会わないって、言った・・・)
 深く考えなくても分かる、簡潔な別れの言葉。

 (僕、ふられた・・・?)

 そう頭に思い描いた途端、力の抜けた手から携帯電話が滑り落ちた。鈍い音を立てて床に落ちたそれを、カガリが慌てて拾っているのが分かる。壊れたらどうするんだとか言っているのが聞こえてはいるが、全く頭に入って来ない。
 ただ信じられなかった。シンに衝動のまま想いを告げ、後悔だけをした夜も、こんな胸に穴が開いたような気持ちにはならなかった。
 けれど、あの時は心のどこかでシンはきっと自分を拒絶しないだろうと思っていた。想いを受け入れてくれなくても、今までのように接してくれるだろうとどこかで思っていた。
 今思えばシンに完全に甘えきっていたと思う。
 そんなキラの甘えを分かってか、そうでないかはキラには分からないが、シンは普通なら距離を置いてしまうようなキラの言葉を聞いた後にも、今まで通りキラに接してくれていた。
 だが、今まで通りのそれが出来なかったのは、またしてもキラの方だった。
 シンが近くにいるだけで、胸が壊れそうだった。笑顔を見るだけで湧き上がる衝動に、必死な思いで指先を握り込んでいた。少しでも触れてしまえば抱き締めてしまいそうだったから、距離を置くことに必死だった。それでも傍にいたくて、どこか身を削る思いで、ただ傍にいた。
 忘れてもいいと言ったのは嘘じゃない。辛くはないと言えば全くの嘘だが、シンが自分に笑い掛けてくれなくなる事の方が嫌だった。
 けれど、シンはキラのものになる、と、自らの口でそう言った。
 一度は諦めて。傍にいられるだけでいいとまで諦めきっていたキラの想いに答えたのは、シン自身だ。
 同じ男に抱かれるのにどれだけの覚悟をしただろう。でも、それも自分と同じ想いを持ってくれたからこそ言ってくれた言葉だと思っていた。
 シンが今どうして、キラと別れたがっているのかはキラには分からない。
 だが、自分からキラの元へと飛び込んできたシンを、キラは今更、簡単に離してやれる事など出来ない。

 「・・・ごめん、ちょっと抜ける・・・っ」
 「ちょ・・・お前・・・・・っキラ?!」

 突然立ち上がって生徒会室から飛び出したキラにアスランは慌てて声をかける。しかしキラは背中に掛けられた声に振り向こうともせず、ひたすら校内を走った。

 「いらっしゃいませー・・・?」

 走って飛び込んだのは、こうして直接訪れるのは始めての、シンのバイト先だった。自動ドアにすら焦れて店内に飛び込んだキラはカウンターに手を付いて荒く息を吐く。キラの学校からここまでは然程離れてはいないが、普段こうして長距離を走る事のないキラにとっては息を荒げるには十分な距離だ。
 カウンターの前で息を吐くキラに、ヨウランが引き攣った営業スマイルを向けているのにも気付かず、キラは俯いたまま荒れた息を落ち着かせようと必死だった。

 「・・・こ、ここでシン・アスカって子バイトしてるよね?!今日シフトなのは分かってる!!今すぐここに連れて来て!!」
 「お、お客様・・・当店は指名性では・・・」

 額から汗を流して必死な顔で叫ぶキラの気迫に、ヨウランは思わず仰け反ってしまった。なまじ顔が整っているだけに睨まれると恐ろしい、とヨウランは内心冷や汗を垂らしながらしどろもどろに受け答えをする。
 だが、キラも以前シン自身から今日がバイトだという事を聞いている、即ちここにシンがいるという確信もあった。シンと話をするまではどうしても引けない。

 「お願いだから・・・、今じゃなきゃだめなんだよ・・・っ!」

 顔を歪ませて、次は縋るような視線をヨウランに向ける。
 どうしても今、シンと話がしたかった。シンのバイトが終わるまで待っている気などさらさらなかった。

 「・・・・・・ちょっと、待ってて下さい。普段なら追い返すとこなんですけどなんか異常事態みたいだし、呼んで来ますよ」

 そのキラの表情に、降参したようにヨウランは笑って店の奥に消えていく。
 ヨウランの言葉通り、ほんの少しだけ待った後、シンがどこか不貞腐れたように歩いてくる。見慣れない黒いポロシャツとズボンに赤いエプロンを腰に巻いている。ヨウランも同じ格好をしているから、ここの制服かとキラは一人納得した。
 何やらヨウランに小声で文句を言っているらしいシンのその後ろから、ヨウランがシンを宥めているのが分かった。
 そして、促されるままキラと少し距離を置いて立ち止まったシンは、キラを睨み上げる。

 「何やってんだよ、あんた」
 「・・・それはこっちの台詞だよ・・・っ!何でいきなりあんな事・・・」
 「ここじゃ邪魔になるから裏口の方行けよ・・・ごめん、ヨウラン。少しだけ抜ける」

 向けられた事の無い視線とどこか呆れたような声。一瞬言葉に詰まりそうになってしまった。
 シンはカウンター越しにヨウランに声を掛けると、キラに背を向けて裏口へと足を進める。キラはただ黙ってその後ろに続いた。
 裏口には従業員のものであろう自転車が数台と、空のビールケースとダンボールがいくつか並べられていた。夕陽に染まって綺麗に色づいていた表口とは違い、影になって薄暗い。
 キラが裏口のドアを閉めた事を確認すると、シンは先ほどと口調を変えずにキラを見上げた。

 「で、何の用ですか?こんなとこまで押しかけてきて」
 「・・・もう、会わないってどういうこと?」
 「言葉通りの意味だけど?」

 そんな事も分からないのかと遠回しに言われたように感じた。目線をキラに合わせようともしない。
 (ああ、分からない。何も分からないよ・・・だから、ここに来たんだ)
 どこか挑発的なシンの口調に、キラは指先が白く変色するほど拳を握り締める。

 「・・・シンから言ったんじゃないか、僕のものになるって・・・。僕は忘れてもいいって言ったのに・・・それでも僕のものになるって答えを出したのは君なのに・・・!!なのに何で?!」
 「なんだも何もない。もう会わない、こんな風に来るのもやめてくれない?」

 どんなに声を荒げて言っても、シンは態度を全く変えなかった。視線は変わらず足元に落としたままだ。
 キラもこんなシンの態度を覚悟はしていたが、直接の拒絶は想像以上に辛いものだった。

 「嫌だよ・・・いやだ、会いたいよ・・・シン・・・」

 もう、本当にこのままシンと会えなくなってしまうのだろうか。
 不意に滲んだ涙をシンに見られたくなくてキラは俯いた。けれどシンは逆に、そんなキラの様子に苛立ったように顔を上げて口を開いた。

 「・・・何で俺なんだよ?!」
 「・・・え」

 思わず顔を上げたキラの目に入ったのは、赤い瞳から零れる涙をそのままにキラを睨みつけているシンの姿で。

 「俺じゃなくてもいいだろ?!キラなら女でも男でも幾らでも相手見つかるだろ?!どうせ俺なんかただの暇潰しで・・・やっとめんどくさい家庭教師からも開放されたんだから、喜べよ!!もうほっとけよ!!」
 
 段々と強くなっていくシンの口調。キラにはシンが言っている事に頭が付いていかず、ただ混乱するばかりだった。
 でも、漠然と感じたのはキラにとっては到底ありえない事で。

 (・・・僕がシンを弄んでるとても言いたいの・・・?)

 顔が真っ青になっていくのが自分自身でも良く分かった。
 そんな事をシンは思って、それでも自分に今まで抱かれていたとでもいうのか。

 「ヤりたいだけなら他の奴見つけろよ!!俺はもうたくさんだ!!」
 
 続けられた言葉に、頭を鈍器で思い切り殴りつけられたような錯覚に陥る。
 けれど、どこかでシンがそんな事を思っているというのを信じたくなくて、キラは震える口を開いた。

 「僕は、そんな・・・なんで、なんでそんな事・・・」
 「・・・さあ、俺が聞かせて欲しいくらいだけど?」

 ようやく口を開いたキラに、シンは嘲るように笑って見せた。
 そんなシンの表情を見るのも初めてだった。その顔をさせているのが自分だと思うと、キラは悲しくて堪らなかった。
 唇を噛み締めて俯いてしまったキラに、シンは言う事は言ったという風に店内に戻ろうとした。

 「ちょっと待ってよ、シン!!僕はそんな事考えてない!!僕は・・・っ」

 自分の横をすり抜けようとするシンを止めようと、キラは慌ててその腕を掴もうとした。けれどシンはキラの手を払いのける。

 「もういいよ!最初から俺が馬鹿だったんだ!!これでもいいって身代わりでもいいって思ってたのに、どうせ辛くなるってわかってたのに、選んだ俺が馬鹿だったんだ・・・っ!!」

 (やっぱり、シンは勘違いしてる・・・っ!!)

 身を引いてキラの手から逃れようとするシンの両腕を、キラはしっかりと掴んだ。シンの顔を真正面から見ると、赤い目を細めてきつく睨んでくる。涙で濡れた瞳に胸が痛んだ。
 それでも細い両腕を強く掴み、キラはシンと目をしっかりと合わせて。

 「身代わりって何?!誰の?!君の代わりに誰がなれるっていうの?!君以上に好きになれる人なんていないのに・・・!!」

 シンの瞳が大きく見開かれた。
 そのまま固まってしまうかとキラは思ったけれど、たっぷりの間を開けてシンは首を傾げる。

 「・・・・・・・・・は?」

 この場に似合わず間の抜けたシンの声色。そんなに驚くことなのだろうかと、キラの胸中は少し複雑だ。

 「え・・・?キラ、俺の事・・・好きなの?」
 「当たり前じゃない・・・それとも何?僕が好きでもない男の子を抱けるような人に見える?」

 そこからして伝わっていなかったのか、と内心溜息を吐いてしまう。
 一体どうして、シンの頭の中で自分はどれだけ軽く見られていたのか。
 呆けていたシンが、みるみる顔を真っ赤にしてキラの手から逃れると、またキラに強い視線を向けた。

 「な、なんで・・・最初にそれを言わないんだよ!!」
 「言ったよ・・・何?君はそれを疑ってあんな事言い出したわけ?」
 「だから、言ってないだろっ!!」
 「い・・・ったよ?」

 ついシンに押されてキラも少しばかり意地になってしまったが、よくよく思い返してみて首を傾げる。シンが求めているのが、はっきりとした『好き』だという言葉なら、確かにキラは口に出していないのだ。
 黙り込んだキラに、ほら見ろとでも言うようにシンがねめつけて。居た堪れなくなってしまう。
 けれど、

 「・・・・・・でも、同じような事は言ったよ。そう言うシンも言ってないし・・・それでも僕には分かったよ?」
 「そ、れとこれとは別だろ!俺はわかんない!全然わかんなかった!」

 往生際が悪い、と自分でも思った。シンも同じ事を思ったらしく、また声を荒げてキラに詰め寄る。
 しかし、すぐに俯いて大きく溜息を吐いて。

 「キラがあんな事言い出してから、俺めちゃくちゃ悩んで・・・俺は男だし、妊娠とかしないし、後腐れないから遊ぶのには最適なのか、とか・・・それでもいいって思ってたけど・・・。ラクスさんと知り合いってだけでも驚いたのに妙に仲良いし、何で知り合ったかとか、キラは俺に隠したがるし・・・言えない理由なんて付き合ってるからとか、そういうのしか考えられないし・・・」

 一気に話してから、シンはまた溜息を吐いた。
 確かにラクスと知り合った経緯等はシンには話していない。でもそれは、決してシンの思うようなところではないのだ。それを伝えようと、キラはシンの肩にそっと手を置いた。

 「シン、ラクスとはそんなんじゃ・・・」
 「じゃあ、何で言えないんだよ!!そんな態度とられたら変に疑うに決まってるだろ?!」

 一度止まったかと思ったシンの涙が、また赤い瞳から零れ落ちそうになっているのを見て、キラは眉を寄せた。言葉の足りなかった自分のせいでどれだけシンが苦しんでいたのかを、今更ながら改めて思い知った。
 シンの様子がおかしくなったのもラクスと偶然会った日からだ。
 シンはラクスのファンだと言っていたし、ただシンがラクスと知り合いであった事に驚いているだけだとキラは思っていた。まさか、自分とラクスの仲を疑っているなんて事を思っていなかった。
 腕を伸ばしてシンの身体を引き寄せる。こんな場所で、と拒まれるかと思ったけれどシンは大人しくキラの腕の中に納まってくれた。

 「・・・・・・ごめん」
 「何で謝るんだよ・・・何?嘘ついてんの・・・?どっからどこまで嘘なんだよ?今まで全部?・・・さっきのも?」
 「違う、違うよ・・・?嘘なんて吐いてない・・・」

 柔らかい黒髪に頬を寄せる。
 シンはどんな思いで、今まで身体を拓いていたのだろうと思うと、キラの胸は締め付けられたように痛んだ。
 どうしてシンには自分の気持ちが全て伝わっているとと思い込んでいたのだろうか。好きだと伝える事などいつでも出来たというのに。
 軽い気持ちでシンを誤魔化すような事を言ったキラの言葉に、シンはどれだけの思いを抱えて涙を流したというのか。
 あの時キラも、シンがどんな思いを抱えているのか分からなくて、シンからの言葉を強請った。でもシンからは何の返事も無くて、言葉が返って来ない事を悲しく思って。
 言葉がそれ程までに大事な事だと分かっていた筈なのに、シンには何もあげられていなかった。
 ただ、好きだと思ったその時に、口に出して伝えれば良かっただけの事なのに。

 「ねえ、シン・・・」

 顔を少し離し、赤くなった目元に口付けた。シンが身を竦ませたのにほんの少しだけ笑って、視線を合わせる。

 「シンの事が大好きだよ」

 シンは黙ったまま顔を俯かせたけれど、キラは言葉を続ける。

 「だから、僕の恋人になってくれませんか・・・?」

 少しの間を置いてシンが小さく頷いたのにキラは堪らずシンを抱き締めて。シンが照れて怒り出すまでずっと、その耳元で繰り返した。



(お題をsham tears様よりお借りいたしました)

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