絶対的なもの 2

 「お前、なんか悩みでもあんの?」

 訓練が終わった後ヨウランにそう声をかけられて、目を見開いた。
 MSでの模擬戦をたまたま見かけていたらしい。

 「当たり、だな。」

 俺の反応を見たヨウランは得意気に腕を組む。
 そんなに顔に出ていただろうか。
 確かに俺はポーカーフェイスとかそういうものは苦手だけれど。
 でも、俺がこんなことを考えていることをレイに知られたくなくて、せめて顔には出さないようにと必死になっていた。
 結果、ルナにだって気付かれていない。
 俺にだって意地がある、言われた言葉に素直に肯定なんて出来ない。

 「考えすぎだろ。悩みなんか誰にでもあるものだし。」

 こんなことを悩んでいるなんて知られたくなくて、俺は無理矢理笑顔を作った。
 けれどヨウランは俺の顔を見て、顔を顰めた。
 自分の中ではいつも通りの笑顔を作ったつもりなのに。

 「シン、お前凄い顔してる。」
 「・・・え?」
 「泣きたいのか、怒りたいのか、笑いたいのかわかんねぇ。そんな顔してる。」
 「・・・そんなに・・・ひどい?」

 もう否定する気にもなれなかった。

 「ひどい。」
 「・・・お前のがひどい・・・。」

 はっきりと言われた言葉に俺は溜め息混じりに呟く。
 立ち話は疲れるから。
 言われて休憩室に入り、二人で近くにあった長椅子に並んで腰掛けた。
 室内には、幸い人は残っていなかった。

 「シンがそうやってうじうじ悩んでるのってなんか気持ち悪い。」
 「気持ち悪いってなんだよ。俺にだって悩みの一つや二つくらいあるんだからな。」
 「それはわかるけどさ。シンは考えるよりもまず行動ってやつだろ?思った事だってすぐに口に出す方だし。」
 「そういう性格なんだよ。」
 「わかってるって。だから心配してんだよ、あのシンがこんなひどい顔してたら・・・ルナも心配してたんだぜ?」

 始めはからかうような口調だったのに、ヨウランの最後の言葉は真剣だった。
 顔にはあまり変化はないけれど口調の変化ははっきりとわかる。
 ばれていないと思ったのに、ルナにまで結局お見通しだったのか。自然と出た溜め息に俺は薄く笑った。
 この調子じゃきっと、俺の必死なポーカーフェイスだって無理矢理な笑顔だってすぐに見破られてしまうのだろう。
 そう思うとなんだか意地を張るのも馬鹿らしくなってきて、それでも全てを話す勇気は無くて。
 
 「・・・・・・あの、さ。」
 「あぁ。」

 けれど、誰かに聞いて欲しかった。
 俺は自分の膝に目線を落として、言葉を選んだ。
 ヨウランの顔を見ながら話すことはできそうにない。

 「好きな人がいてさ。本当に好きでどうしようもなくて・・・。」
 「初恋ってやつ?」
 「・・・そんな感じ。」
 
 ヨウランが驚いているのが分かる。
 まさかこんな話だと思っていなかったのだろう。
 俺もこんな話をする時がくるなんて思わなかった。

 「告白、とかすればよかったんだけど。なんか言うに言えない状態になって・・・。」
 「へぇ・・・、どんな?」
 「なんていうか・・・、身体の関係・・・って感じで・・・。」
 「・・・・・・・・それはまた・・・。」

 ヨウランが更に驚いた声を上げる。
 誰と聞かなかったのが、ヨウランの優しさなんだろう。
 シンも今時の若いもんなんだな、としみじみ言ったヨウランがどんな顔をしているのか気になったけど、変わらず顔を上げることが出来なかった。

 「でも、そんな関係だとしても告白はできるだろ?」
 「・・・・・・怖くて。」
 「何が?」
 「・・・返事、聞くのが。」

 俺は膝に置いていた手をきつく握り締めた。

 「好きだって自覚したのも、そういう関係になってからだったし。優しくしてくれるから、最初はそれだけでもいいって思った。でも、段々それだけじゃ不安になって・・・。その時以外は、全然普段と変わんなくて・・・。」

 一度口に出してしまうと止まらなくなる。
 溢れ出てくる言葉の数々を自分でも制御することができなくて。

 「俺ってあいつにとってなんなんだろうとか、このままじゃいけないとか思った。でもそれを言ったら、本当に終わりのような気がして。だからこのままでいいって。俺が何か口に出したら全部終わるから・・・っ!だから、このまま今まで通りでいようって・・・っ!」

 ヨウランに話している筈の言葉が、全て自分自身に言い聞かせる言葉になってしまった。
 それでも黙って聞いてくれているヨウランに、俺は最後に一言だけ言葉を出した。

 「・・・でも、やっぱり嫌なんだ・・・。」

 このままでいいと思うのに。
 それが一番いいんだって思うのに。
 俺はそれ以上言葉にできなくて口を閉じた。
 ヨウランも何も言わない。
 沈黙が突き刺さるように痛かった。
 我に返るととんでもない事を言ってしまったと思う。
 ルナには間違っても言えないことだ、と改めて思った。
 でも、実際ヨウランもこんな話をされて、どう思っているのか。
 もしかしたら軽蔑されているかもしれない。
 それだけのことを言ってしまった自覚はある。
 相変わらずの沈黙は痛くて、でも俺から何かを言うことも出来なくて。
 俺は俯いてヨウランの言葉を待っていた。
 
 「・・・俺はそういう経験無いからよくわかんないけどさ・・・。」

 ようやく紡ぎだされた言葉に、俺は俯いていた顔を上げた。
 ヨウランの表情に軽蔑とかからかいとかそういうものは見えなくて、内心少しだけ安心する。

 「けどさ、やっぱり言った方がいいと思う。」
 「・・・でも、」
 「でも、じゃない。言わないでうじうじしてるよりは言ってすっきりした方がずっといいだろ。待ってるだけじゃ何も変わらない、そんなのシンにだってわかるだろ?」
 「・・・・・・でもさ・・・ぃたあっ!」

 でも、を繰り返す俺の頭にヨウランの拳が思い切り落とされた。

 「いつまでもしつこいっ!見苦しいぞっ!」
 「だからって殴ることないだろっ!?」

 あまりの痛みに瞳に涙がたまってくる。
 少し滲んだ視界にヨウランを映すと、ヨウランは呆れたような怒ったような微妙な顔をしていた。

 「馬鹿は殴らなきゃなおんねぇよ。」
 「なっ・・・!」

 その言葉に絶句する。
 でもヨウランは絶句したまま固まった俺を見て、ふっと目元を緩めた。

 「好きなんだろ?だから、辛いんだろ?」
 「あ・・・」 
 「このまま続けたって辛いのはかわらない。時間が経つと、もっと辛くなる。シンが悩んで辛いのは分かる。シンはそういうの割り切って出来るような奴じゃないって、俺は思ってるしさ。だから割り切れないことをうじうじ悩むよりは、本当はシンがどうしたいかだろ?」
 「・・・本当・・・?」
 「そう、本当の気持ち。このことは誰にもどうすることなんて出来ない。シンがどうにかするしかない。でもさ、俺は・・・」

 ヨウランは、いつもの笑顔を俺に向けた。

 「俺の知ってるシンは、考えるよりも行動って奴でさ。お前がうじうじしてるなんてはっきり言って気持ち悪いし。まあめでたしになるならそれで良しだけど、振られたら振られたで、俺が目一杯慰めてやるよ。」

 さすがにその人の代わりは出来ないけどな、と冗談混じりに言われ、そんなのこっちから願い下げだと返してやった。
 いつものように自然に笑えていると思う。
 先程までの悩みが通り抜けるようだ。

 「まあ、とりあえずがんばれ。」
 「・・・ありがとな。少し楽になった。」
 「当たり前だ。今度なんか奢れよ。」
 「わかったよ。」

 それから最後に、もう一人で考え込むなよと言われて、俺はその言葉に笑って頷いた。

 ヨウランが部屋を出て行った後ふと時計に目をやると結構な時間になっていた。
 かなり話し込んでいたんだと思う。

 「俺らしくない・・・かぁ・・・。」

 言われた言葉を思い出して一人で苦笑した。
 確かに自分らしくないと思う。
 いつまでも同じ事で悩んでいることも。
 表情を隠そうとしていたことも。
 考えれれば考えるほど、自分とはほど遠いことのように感じてならない。
 
 「・・・ちゃんと、言わなきゃな・・・。」

 レイに、好きだと言わなきゃいけない。
 このままでいい、と都合のいいことで逃げないで、しっかりと俺の気持ちを伝えたい。
 もし、拒絶されたとしても、大丈夫だと。
 そう自分に言い聞かせながら、俺は自分の部屋へと足を進める。
 途中で足が竦みそうになっても立ち止まらなかった。
 何度も大丈夫と言い聞かせた。
 レイの前に立って、しっかりとあの青い瞳を見ながら言うと決めた。
 
 レイが好きだ、と。
 だからこのままでは嫌だ、と。

 何度も何度も自分に言い聞かせた。
 辿り着いた部屋のドアを開ける前に、ゆっくりと息を吸う。
 心臓が緊張と決意と、不安のせいで激しく波打っているのがわかる。
 
 「・・・・・・大丈夫・・・。」

 一度声に出してから、俺はドアを開けた。 

 「・・・・・・レイ・・・・・・?」

 ドアを開けて最初に目の中に飛び込んできたのは、薄ら暗い闇の室内。
 その暗い室内に首を傾げる。
 レイはとっくに部屋に戻っていると思っていた。
 だから当然、明るい室内を予想していた。

 「・・・レイ?」

 いないのか、寝ているのかどちらかだと頭では解っているのに。
 それなのにその姿を求めて名前を口にする。 

 「・・・シン。」
 「レイ?いるのか?」

 いないと思って出した言葉に返事が返ってきて俺は闇の中を見回した。

 「シン。」

 もう一度名前を呼ばれる。
 声のした方へ目を向けると、そこにレイはいた。
 椅子に腰掛けて俺をじっと見るその姿。

 「レイ、なんで電気つけないんだよ。」

 完全な暗闇というわけではないけれど、お世辞にもよく見えるとはいえない。
 薄闇という言葉がしっくりとくるその中にレイはいた。
 目を細めてその姿を確かめようとしても、俺の目にはぼんやりとしか映らない。

 「・・・つけるな。」

 明かりをつけようとした俺の手はレイの言葉によって止められた。

 「なんで?暗いだろ。」
 「シン、来い。」

 疑問の言葉に返事は返されない。
 俺は覚悟を決めて、レイに従うままレイの元へと歩いていった。
 言おうと思った。
 レイの顔がはっきりと見える距離になったら、その目を見ながら。
 さっきまで何度も考えていた言葉を。

 「レイ・・・。」

 たった数歩の距離がとても長く感じた。
 一歩一歩確かめるように歩いて辿り着いたレイの側。
 レイは椅子から立ち上がって俺と向き合う。

 「レイ・・・俺・・・。」

 俺と背の変わらないレイの瞳を見据える。
 綺麗な金色の髪と青い瞳が、薄闇の中に映えてとても綺麗だった。
 俺は、一度開きかけた口を閉じた。
 レイの青い瞳が真っ直ぐに俺を映している。
 その視線が嬉しくて、でも少し怖いと思った。
 レイの瞳を逸らすことなく見ながら、俺は閉じていた口をゆっくりと開いた。

 「・・・レイ、俺・・・ずっと言いたいことあって・・・・・・っ!?」

 覚悟を決めて言いかけた言葉は、レイの唇に呑まれて消えてしまった。
 突然のキスはいつものことだけど、このキスはいつもよりも感情的で。

 「・・・んっ・・、レ・・ィっ・・、・・・・・・ふぁっ・・・・」

 咬み付かれるようなキスに俺の足から力が抜けた。
 自分だけの力で立っていることが出来なくて、俺はレイの胸元にしがみ付くことで自分の体重を支えようとした。

 「・・・・・・ん・・・んぅ・・・っふ・・・・」

 合わさった唇の隙間から鼻にかかった声が漏れる。

 「・・・・・・・・・シン・・・」

 小さな言葉と共に離される唇。

 「・・・レイ・・・。」

 呼ばれた名前に答えるように目をうっすらと開け、レイの名前を口に出す。
 俺がこういう時に名前を呼ぶといつもは優しくキスをしてくれるのに、今日は違った。
 少しだけ眉を顰め、レイの胸元を握っていた俺の腕を掴むと、乱暴にベッドまで移動されその上に転がされる。
 投げ出されるようなその動作。
 背中にはベッドの柔らかい感触。

 「・・・レイ・・・っ!」

 今までは違う乱暴な動作に混乱して名前を呼んでも、レイは何も聞こえていないように俺の上に覆い被さってきた。

 「レイ・・・・・んっ!」

 再び重なる唇。
 レイは性急に俺の軍服に手をかけ、簡単にベルトを外され前を開かれた。
 中に着ていたアンダーシャツも胸元までたくし上げられて、露わになった胸元にレイの手が伸びる。

 「・・・うぁ・・・っ」

 少し触れられただけでも反応する自分の身体。

 「レイ・・・・・・レイ・っ・・レイ・・ッ!」

 いくら名前を呼んでも返ってこない反応に、俺は身体を震わせる。 
 こんなレイは知らない。
 普段いくら冷たくされたってこの時だけは、いつも優しかったのに。
 俺はいつもとは違うレイに戸惑いと、恐怖を覚える。
 自然と身体の震えが大きくなる。

 「・・・シン?」

 俺が震えていることに気付いて、レイは俺の顔に視線を落とす。

 「・・・レイ、・・レイ・・・・っ、おれ、俺・・・・・・」

 零れそうな涙を必死に耐える。
 レイと視線が交わって俺は震える唇で必死に言葉を繋げようとした。
 伝えようと思った。
 どんなに酷く扱われても、やっぱり拒めないから。
 嬉しいと思ってしまうから。
 でも、言葉にならなくて。 

 「・・・・・・俺・・、レイが・・・っ」
 
 俺に覆い被さったままのレイを見上げながら、やっとそこまで言葉が出せた。
 けれどやっぱりそれ以上は言葉にならずに喉の奥に吸い込まれていく。
 そのもどかしさに俺は震える腕を伸ばしレイの肩に触れようとした。
 しかし、指先がレイに触れることはなくて。

 「・・・・・・もういい。」
 「・・・レイ?」

 その言葉を理解する前にレイはベッドから降りてしまう。
 俺はベッドに仰向けに転がされたまま、呆然と離れていくレイの後姿を見ていた。

 行ってしまう。
 レイが、行ってしまう。

 部屋から出て行こうとするレイを見た途端、頭の中が真っ白になった。

 「レイ・・・っ!」

 俺は慌ててベッドから上半身を起こしてレイの背中に向けて名前を呼んだ。

 「俺、大丈夫だから・・・っ!だから、話・・・っ!」

 最後まで、聞いて。
 お願いだから行かないで。
 最後の言葉までは声に出なくて。
 レイは、振り向きもしないで部屋を出て行った。

 「・・・・・レ・・・・・イ・・・・・・」

 名前を呼んでも、返事は返ってこない。
 頬を伝って流れる涙が膝に落ちて赤い軍服を濡らした。

 「・・・っう・・・、ぁ・・っく・・・うぅ・・・」

 自然と嗚咽が零れる。 
 振り向きもしないまま俺を置いていったレイ。
 その姿が俺の全てを拒絶しているようだった。

 「・・・っ・・・ぅう、レ・・・イ・・・っ、レイ・・・・っ・・」

 好きなんだ、と。
 たったそれだけを伝えたかった。
 伝えようとしても、言葉を出す前に拒絶されて。
 薄闇の中で俺はたった一人の名前を呼びながら、ただ泣くことしかできずにいた。








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