絶対的なもの 5 目の前で崩れ落ちる身体を見た時、考えるよりも先に自分の身体が動いていた。 「・・・シンっ!!」 気付けばシンの名前を叫んでいた。 目が合った瞬間にその身体は脆くその場に倒れこみ、俺は無意識の内に床に倒れたシンの身体に駆け寄り、細い身体を抱き寄せると顔を覗き込んだ。 朝から酷い顔色だったが、今は更に酷くなっている。 元から白い顔は、既に色を失っていて、まさしく蒼白という表現が相応しい程に酷い。 「・・・シン・・・・・」 あまりにも弱弱しいその姿。 額に手を当てると、シンが高熱を出しているのがわかった。 掌に感じる、人肌よりも熱いそれに、思わず眉を顰めた。 「シンッ・・・!!」 今にも泣き出しそうな程に震えた声でシンの名を呼び、ルナマリアがシンの元に膝を付いた。 「シンっ!だから、言ったのに・・・!!バカ・・・っ!!」 俺の腕の中にいるシンの頬を、震える手で触れていた。 「・・・ルナマリア、大丈夫だ。」 自分に言い聞かせた言葉だった。 大丈夫だと、そう思いたかった。 「・・・・・レイ・・・。」 向けられたルナマリアの瞳が、不安気に揺れている。 俺はその瞳に言い聞かせるように一度頷くと、力を失ったシンの身体を抱き上げた。 上官にシンを医務室まで連れて行くことを告げ、返事を待つ間も惜しく、俺は人込みを掻き分けて医務室への道を急いだ。 「栄養失調という訳でも無いし、特別体が弱い訳でもないだろう?」 医者の言葉に、俺は黙って頷いた。 シンは風邪を引くことですら滅多に無い。 免疫力が強いコーディネーターなのだ、こんなに高熱を出して倒れこむ姿を見ることなど初めてだ。 シンの眠るベッドへと視線を向けると、点滴の針が刺さっている細い腕が目に入る。 「一時的な高熱・・・。疲れが堪っていたのか・・・或いは精神的なものも考えられるんだが・・・。」 医者の何気ない言葉が胸に突き刺さる。 最近のシンはどこか暗い表情をしていることが多かった。 原因は、言うまでも無く俺自身であることは分かっている。 昨夜のシンの顔が脳裏に浮かぶ。 震えていた、シンの身体、その表情は本当に痛々しいもので。 俺と関係を持つ前は、あのような表情をする事など無かった。 シンが家族のことを思う時とも違う、痛みを帯びたあの表情。 俺はその場に立ち尽くしたまま、握っていた拳を強く握り締めた。 シンをこれ程追い詰めたのは間違いなく自分自身。 自らの衝動を抑えることが出来なかった、愚かで、幼い自分。 「点滴が終われば、熱は下がっていると思うのだが・・・。念の為に今日はゆっくり休むように言っておいてくれないか?」 「俺が、ですか?」 「同室だろう。私はこれから用事が入っててね。幸い、容態的には大したことはないから、彼のことは君に任せるよ。」 「・・・・・・分かりました。」 断ることも出来た。医者は一人ではないのだ。 目の前の一人に用事があったとしても、俺ではなくて他の誰かに頼むことも出来る。 それが出来なかったのは、未練がましく俺に残るシンへの思いがあったからだ。 「頼んだよ。」 それだけを言って颯爽と部屋を出て行く医者の後姿を、複雑な思いを抱きながら見ていた。 当然のように、ドアの閉まる機械的な音が聞こえて。 ベッド一つ分が括られたこの部屋に残ったのは俺と、眠るシンだけの白い部屋。 「・・・シン」 名前を呼んでも反応が返る訳でもないのに、呼ばずにはいられない。 その顔色は、点滴が効いているのか、朝見た時よりも幾分か良くなっている。 それに少しの安堵を覚えた。 今朝に見た、シンの姿は昨夜に劣らずの酷さだったから。 昨夜。 俺は部屋の中に戻ることも出来ず、一晩をグリーティングルームで過ごした。 中に残るシンの姿を思い浮かべれば、睡魔など襲ってくる筈も無い。 シンに二度と触れられないことに、苦しさを覚えた。けれど、これで良かったと思っている自分もいた。 俺から解放されて、もうシンが苦しまなくてもいいのなら。 あのような表情をすることが無くなるのなら。 俺が苦しくても、それは罰、今までシンを苦しめていた罰だ。 何度も自分に言い聞かせた。 しかし、日が昇り部屋に戻らない訳もいかず、部屋に戻った俺の目にしたものは予想とはかけ離れていた。 泣き腫らしたように赤くなったシンの瞳と、水浸しになって座り込んでいる、その姿。 「・・・レ・・・ィ・・・?なんで・・・」 俺の姿を見たシンは赤く腫れた目を見開いてそう言った。 その様を思い出して、俺の胸には強く締め付けられるような痛みが走る。 他人に決められた、俺とシンの部屋。 そこに戻ることですら、今の俺には許されないのかと、そう思うと堪らなかった。 それでも俺が戸惑えば、シンは昨夜のように無理をするかもしれない。 震えながら、俺を引き止めるかもしれない。 だから、俺は必死にいつもの自分を取り繕い、嘘で固められた自分でシンに接した。 離れることを決めた。 近寄ることなど出来ない。 それでも、今こうしてシンの傍には俺がいる。 結局何が変わったのか。 シンは変わらず苦しんでいて。 原因が、俺にあることは確かで。 その俺が、何故ここにいる。 その場に立ち尽くしたままシンの寝顔を見下ろす。 眠るシンの顔は苦しみから、俺から、解放されているようだった。 けれど、目覚めて俺の顔を見た時どのような顔をして俺を見るのか。 それが怖くて堪らなかった。 眠るシンの顔は穏やかだった。 このまま眠っていれば、辛いことなど何もないのに・・・そう思わずにはいられない程に。 「・・・・・ん・・・」 しかし無情にもシンの小さな声と、被せていた白いシーツが擦れる音が耳に入る。 「・・・シン」 思わず漏れた俺の呟きに答えるようにシンはゆっくりと目を開いて、未だに覚醒しきっていない瞳の視線を俺に合わせた。 「シン」 怖かった。 酷い反応が返ってきてもいい。 俺は、幾ら苦しんだっていい。 どうか、震えないように。 どうか、泣かないように。 それだけを思った。 親にきつく叱られた子供のように、俺はシンの反応を窺っていた。 「・・・・・・シン・・・・・・・」 もう一度名前を呼んだ。 想像したのは俺を憎しみで睨みつける紅い視線、覚悟していた。 けれど、シンはぼやけた瞳で俺を見ながら、その顔に広がったのは憎しみでもない、怒りでもない、そこには確かに笑顔があった。 「・・・・・・・・・・レ・・・・・・・・ィ・・・・・・・・・・・・」 名前を呼ぼうと開きかけた口がシンの名前を模る前に、シンは再び瞳を伏せる。 俺は息をすることさえも忘れたように呆然としていた。 あの笑顔を見た時、寝惚けていたシンが、自分と誰かを間違えたものだと思った。 あんな顔で自分を見る筈がない。 そう言い聞かせたのに、笑顔と共にシンの口から出た言葉は間違いなく俺の名前だった。 「・・・・・シン・・・どうして・・・」 気付いたらシンの頬に手を伸ばしていた。 諦めようと。 諦めた筈なのに。 あのような、笑顔を見せられては、諦めること等出来なくなる。 けれど俺は、離れなければならないのだ。 俺にはシンを苦しませることしか出来ない。 「シン・・・・、もう、一度だけ・・・・・・・・」 それだけを言葉に出して、俺は眠るシンの唇に、触れるだけのキスをした。
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