絶対的なもの 6


夢を見た。
 もう俺の側にいることなんてないと思っていたレイが、俺の側にいる夢。
 夢だという事はすぐにわかった。
 だってこんなのあり得ない。
 レイがこうして俺の側にいるなんて、きっともう無い。
 でも、夢だと分かっていてもレイの姿を見たら嬉しくて。
 その姿を見るだけで嬉しくて。
 夢だと、夢なのだと自身に言い聞かせても嬉しくて、嬉しくて、自然と自分の顔が緩むのが分かった。

  「・・・・・・・・・・レ・・・・・・・・ィ・・・・・・・・・・・・」

 口から、レイの名前が零れる。
 レイは驚いたように目を見開いた。
 嫌じゃない?
 俺が名前を呼んでも嫌じゃない?
 嫌じゃないのならこうして名前を呼んでもいい?
 段々と薄くなっていく夢の中で俺は何度もそうレイに呼びかけた。
 レイは何も答えなかったけれど、それでもいい。
 拒絶の言葉を出すくらいなら何も言わないでほしい。
 でもここで名前を繰り返す事は、それだけは、許してほしい。

 ゆっくりと目を開けると、目には白い天井が映った。
 腕には針が刺してある。
 それが点滴だという事はすぐに理解できた。
 けれど自分が何故点滴など受けているのか分からなかった。
 分かるのは少しだけ重く感じる頭と、まだぼんやりとしたままの視界。
 何度か瞬きを繰り返す。
 そうしている内に、段々と一度忘れたこの状況の理由が甦ってきた。

 「・・・・・・あぁ・・・」
 
 俺、倒れたんだ。

 思い出し、目を閉じて溜め息を吐く。
 自分の身体が崩れていく時のことはあまり覚えていないけど、それでも覚えているのは、俺の名前を呼ぶレイの姿。
 ここに運んでくれたのも、レイかもしれない。
 いや、そんな筈はない。レイがどうしてそんな事をする理由があるのか。
 その堂々巡りを何度も繰り返した。
 どこか期待する自分と、諦めている自分と、それでも諦められない自分。
 何だかそれがとても滑稽に思えてしょうがない。

 「起きたか?」
 「・・・・・・え?」

 急に声をかけられて驚いて目を開く。
 声の聞こえた方にベッドに寝た体制のままで、頭だけを向けた。
 
 「・・・・レイ・・・?」

 そこにいたのは見間違う事なんて決してない、一人の姿。
 閉められた白いカーテンを開けて、俺のいるベッドまで歩み寄るレイの姿。

 「・・・・・・なんで」

 ここにいるんだよ

 そう聞きたかったけれど、レイの姿を見ると口が上手く回らない。
 結局聞きたいことなんて声にすらならなくて、俺はベッドのすぐ側で立っているレイを見上げた。

 「・・・お前、訓練中に倒れたのわかっているのか?」
 「・・・・・・ごめん・・・・・」

 その顔は不機嫌そうに歪み、自然と俺の口からは謝罪の言葉が漏れる。
 けれどレイはそれから何も言わなくて、その沈黙が痛くてしょうがなかった。
 もともとレイは寡黙だから、自分から話すことは滅多に無い。
 それが分かっているから俺は痛い沈黙に耐えかねて、恐る恐る口を開いた。

 「・・・レイが、運んでくれたのか・・・?」
 「ああ。」
 「ずっと、ここに居たのか・・・?」
 「お前の面倒を頼まれたからな。」
 「・・・・・・ごめん。」

 レイのその言葉に胸の痛みを感じた。
 言われたから、しょうがなく。お前の為ではないと、そう言われた気がした。
 というか、レイは俺にそういいたいのだろう。

 「・・・本当に、ごめん・・・。」

 迷惑をかけて。俺の面倒なんて頼まれて。

 「・・・・・・ごめん・・・・・・・」

 俺の、側にいさせて。
 そういう意味を込めて俺はその言葉を繰り返す。
 
 「・・・その言葉はもういい。それより、歩けるか?」
 「・・・・・・え?」
 「歩けるなら部屋に戻る。」

 俺は思わず苦笑してしまった。
 いつまでも俺に付き合うのなんて、そんなの嫌に決まっている。
 さっさと部屋に戻りたいに決まっている。
 そこが、俺との同室だったとしても、俺の事なんて、ただのルームメイトでしかないんだから。
 苦笑しながらゆっくりと身体を起こす。
 幸い点滴が効いているのか頭痛も大分治まって、体調も朝よりは随分と良くなっていた。

 「歩ける。」

 多分、もう平気だ。
 ベッドに座って、俺はレイに顔を向けないでそう言った。

 「・・・腕を貸せ。」
 「あぁ、点滴?これくらいなら自分で・・・」
 「お前のやり方では雑過ぎる。黙って腕を見せろ。」

 否定を許さないレイの口調に俺は言われた通り黙って腕を差し出した。
 俺だって救急訓練は受けている。
 点滴の針を抜いて、その後の処理くらい他愛ないのに、レイは黙ったまま手際よく、けど丁寧に処理をしていく。
 
 「・・・・・・平気か?」
 「・・・・・・ん・・・・・」

 綺麗に消毒されてガーゼを貼られる。
 それを見て本当に何でも器用にこなすレイに、改めて関心して頷いた。
 俺が頷いたのを見ると、レイは何も言わずにドアへと歩いていく。
 レイに続いて俺もベッドから降りる。
 まだ少しだけ足が重いけれど、歩くには支障ない。
 
 「平気。」

 ドアの前で俺を見ているレイに、俺は無理矢理作った笑顔で答えた。
 もう平気だ。
 大丈夫。
 そう自分に言い聞かせながら、レイの横をすり抜けるようにして部屋の外へ出た。
 レイもすぐに出てきて俺の前を歩いていく。
 部屋に戻るまでの間、会話する事は無かった。俺は黙ってレイの後を歩き、レイも振り向くことなく足を進めている。

 それでも、二人で戻ってきた部屋はどこか暖かく感じた。

 「まだ、具合が悪いのなら寝ていろ。」

 部屋に着くなりそう声をかけられて、何処か複雑な気持ちになる。
 どこか気遣うような言葉に嬉しいと思う反面戸惑った。 
 突き放すなら限界まで突き放して欲しいのに。
 そうしてくれないと、諦めきれない俺がレイに手を伸ばしてしまう。
 振り払われると分かっていても纏ってしまいそうになる。

 「・・・・・・シン?」

 俯いて立ち止まっていると、レイは顔を顰めて俺の名前を呼んだ。
 どんな表情だろうと、どんな声だろうとレイに名前を呼んでもらうのは嬉しい。
 でも同時にどこか期待してしまい、もう戻れないのに、戻れるような気がしてしまう。
 けれど戻れないのだ。
 俺は、レイから離れなければならない。

 「・・・・・・部屋、変えてもらえるか聞いたほうがいいよな?」

 俺は俯いたまま口を開いた。

 「すぐには無理かもしれないけどさ・・・。」
 「・・・・・」
 「このままじゃ俺、レイに迷惑かけてばっかりだ。そんなの・・・嫌だし・・・。レイだっていつまでも俺の面倒なんて見るの嫌だろ?」

 レイは黙って聞いている。
 俺の目線は足元に向いたままだから、レイがどんな表情をしているのかは分からない。

 「俺と同じ部屋にいるのなんて、嫌だろ?」
 
 作った明るい声でそう言葉に出して、俺は顔を上げる。 
 レイも俺と同じ事を考えていると思っていた。
 だから言った。
 レイからそう言われるのは、想像しただけで心が粉々になってしまいそうだから。
 けれど視界に映ったレイの顔はいつものような無表情ではなくて。

 「・・・・・レ・・・・イ・・・?」

 蒼い瞳は、俺を射抜くように睨み付けていたのだ。

 「そう思っているのはお前だろう。」
 「・・・・・は・・・?」
 「俺と同じ部屋にいたくないのは、シンの方だろう。」
 「・・え、ち・・・ちが・・・・・・」
 
 レイの言っている言葉の意味が、よく分からなかった。

 「何が違う。」
 「俺は・・・・・そういう意味で言ったんじゃない・・・、俺は・・・・・・」

 離れたいわけではない。
 でも、離れなければいけないんだろ?
 レイは俺から離れたいんだろ・・・?

 「レイは、俺の近くにいるのなんて嫌だろ・・・?」
 「・・・誰がそんな事を言った。」
 「い・・・っただろ・・・俺の事なんて、もういいって言っただろ・・・っ!」

 自然と頭に血が昇っていくのがわかる。
 誰がそんな事を・・・なんて、お前はそれを俺に言わせるのか?

 「レイが言ったんだろ・・・っ!!」

 俺の言葉に、レイは目を見開いた。

 「おれ、俺このままじゃ駄目になる・・・近くにいたら駄目になる!!レイに迷惑かけてばっかりで、そんな事ばっかりで・・・!だから、離れないといけないって・・・!!レイだって、俺なんか近くに居ないほうが・・・・・・っ?!」

 突然、掻き集めるように背中に腕が回される。
 それがレイの腕だと理解するのに少しの時間がかかった。
 息苦しいほどに強く回される腕に、俺は混乱せずにいられない。
 だってこんなこと考えられない。
 レイに抱き締められてるなんて、考えられない。

 「・・・・・・シン・・・・・・」

 それでも聞こえる声は、レイのもので。

 「・・・・・シン・・・・・・」

 耳元で感じるレイの声。背中に回るレイの腕。

 「・・・・・・・・・・・・・・シン・・・・・・、俺は・・・」

 レイの唇から零れる言葉は、俺の名前。
 それだけでこんなに嬉しい。
 それだけで満たされる。
 けれど、分からない。
 どうして抱き締めるのか。
 どうして俺の名前を呼ぶのか。

 「・・・俺は、お前が・・・・・・・・」
 
 先の言葉なんて予想できない。
 でも今の俺には、背中に感じるレイの腕だけが全てだった。
 これが夢ならどうかずっと見続けさせていてほしい、そう願わずにはいられなかった。





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